
人見知りする話

私は人見知りの激しい人間です。
シャイです。知らない人にはなかなか自分から話しかけられません。
でも、話しかけなくてはならない場合は、ちゃんとします。
そもそもフリーデザイナーなんて仕事は営業してなんぼですからね…。
自分から売り込まなきゃ、何の仕事も来ないんだから(-_-;)
サラリーマン時代は、販売業だったので接客もしましたし、実は営業部にもいたので取引先の方ともよくやりとりしていました。
ここで揉まれたので、生来の引っ込み思案もだいぶマシになったかなとは思います。
しかし、そんな内心とはウラハラに、「私人見知り激しいんです」と言うと、「そうは見えない」とよく言われます(笑)
演劇やってたこともあって、なんだかんだでうまいことそれっぽく繕っちゃうんでしょうね…。
≪目を合わせるのは苦手≫
高校時代、国語の先生が、「自分は人の目が見られない人間だ」とよく言っていました。
私も同じ人種です。基本的に人の目を見るのは苦手です。
なぜかわかりませんが、とにかく昔からそうでした。
あまりにそれが顕著なので、大学時代には落研部員に「担保歩っていっつも流し目だよね。こっち向かないよね」とはっきり指摘されたことも。
(落研部員はデリカシーが無いので、うちとけてくるとはっきりものを言います。疑問に思ったことは大体訊きます。でも悪気は全くない。この時も無邪気に「何で?」と訊かれただけ。)
おそらくですが、その人の顔を見たくないからではなく、私の顔を見られたくないという気持ちからじゃないかと思います。
…いや、それもちょっと違うな。「見られたくない」というよりは、「目が合ってしまうと気恥ずかしい」というのが正確かもしれません。
”見られてるな”と感じた時、別に嫌な気持ちになるわけではないので。単に照れてしまうというか。
それなら、舞台に立ってる時はいくら見られていても平気だという説明もつく。
芝居の場合、客席からの視線は私を見ているのかどうか暗くてハッキリわかりませんし、落語の高座にしても、お客さんと目が合うのは(私の場合)ごく稀ですから。
そういえば昔、同級生の女の子がわざと私の目を正面からじっと見つめてきて、私が堪え切れずに目を逸らすと「カワイーイ!」とからかわれたことがあります。
そういうの、やめてほしい(苦笑)
さすがに社会人になってからは、失礼にならないよう、適度に相手を見るように気を付けていますが、むしろ気のおけない友人に対しては、いつまでも同じですね。私が目を合わせなくても、それは嫌悪感の表出ではないことをわかってくれる(と思う)からです。
≪親切にしてもらえる話≫
以上のように、私の生来の気質としてはシャイな上に無愛想なので、あまり人とコミュニケーションを積極的にとれるタイプではありません。
演劇をやりたいと思うのは、本当は他人とうちとけたいという自身の願望を、仮初めにでも体験させてくれるからかもしれません。
そんな私ですが、なぜかいろいろな方に、よくしてもらえます。
相手がフレンドリーな態度だったり、親切にしてもらったりすることがよくあります。
わかりやすい例は、私はいつまでも人の名前を初めに会った時のまま、苗字に「さん」付けで呼んでしまい、“うちとけたからあだ名に変更”ということができないのですが、相手は勝手に私にあだ名を付けて呼んだり、ある時急に名前呼びに切り替えたりしてくることがよくあります(笑) しかも男女関係なく。
私としては非常に嬉しいのですが、いつも、どういう要素が相手にそうさせるのだろう?と不思議に思っています。
人懐っこそうに見えるんですかね(笑) 自分ではそんな意識ないのですが。
確かに一度でも挨拶する機会があれば、その後は愛想良く対応するようにしてはいるのですが、若い頃はとっつきにくそうと思われることが多かったので…。
成長して丸くなったんでしょうか。
そういえば、上司(女性)に「野本さんって犬みたいだよね!」と言われたり(笑)、ディズニーリゾート内の売店でバイトをしている時に、大量買いのお客様(カゴ目一杯、50~60点持ってくる方が時々いらっしゃる)がなぜか私のレジによく来る(「野本さんのレジ、大量買いのお客様よく来るよね!」と先輩に言われる。レジの位置は毎回変わるので、ポジショニングの問題ではないらしい。)とか、ありました(笑)
≪結局人が好き≫
そんな私ですが、自分なりに、親切にしてもらった方にはできる限り恩を返したいと思って生きています。
座右の銘は「情けは人の為ならず」。人に親切にすることは、その相手の為だけではない。
まわりまわって自分に還ってくるんだよ。という。
座右の銘というよりは、日々実感している、と言った方が近いかな。
座右の銘って言っちゃうと、結局己の為かい!という感じがしないでもないのでね…(-_-;)
(まあでも、人間生きている限り、全てのことは結局己の為だと思ってますけど。)
いや、本当に、日常人に親切にするといろんな人が親切にしてくれるんですよ。
で、親切にしてもらうと、自然とお返ししたいなあと思うわけで。
日々こういうことを感じられるって、有難いことだなあと思います。
心理学で“好意の返報性”という言葉がありますが、私はどうもその傾向が強い。
私に好意を示してくれた人には、同じように好意を返しますよ、ということですが。なんですかこれ、自己アピール欄みたいになってきましたね(苦笑)
でもとにかく、私に優しくしてくださった方には、もれなくお返しをします。
それは私の人生方針として確固たるものです。
ただ、そのお返しについて満足していただけるかどうかは私の知る所ではありません(笑)
できる限り、ですから。
(上司にジュースをおごってもらったら、いつにもまして一生懸命働くとか、そういうレベルです(^_^;) )
そんなわけで皆さん、私と関わる際は是非優しくしてくださいね♪(笑)
≪私が生意気であることを責任転嫁する斬新な論理≫
ところで私は学生の頃、なぜか先生方から“生意気なヤツ”みたいに思われることが多く、
「まあ野本のことだからな」みたいな扱いをされることがしばしばありました。
私としては心外で(笑)、こんなに大人しく真面目にやっているのに、なぜそういう扱われ方なのか?と常々疑問に思っていました。(まあ、好意の表現の一種であることはわかっているので、決して嫌だったわけではないのですが。)
で、最近思いついた仮説があるのですが…。
まず、どうも私は対峙する相手に極度に同調してしまうらしい。
ここでいう同調と言うのは、同意するという意味ではなく、気分や気持ちを合わせるといったような意味です。
もちろん、数人で会話している時は誰か一人に合わせるのは無理ですが、それでも、その場にいる人たちが好みそうな受け答えをするのは間違いない。
(好みそう、というのは、単に意見を肯定することではなくて、否定する場合でも相手が満足するような言い方をするとか、そういうことです。)
で、ここからが重要なんですが、同調してしまうあまり、相手に似た行動を自然にとってしまうらしい。行動だけでなく、喋り方や思考パターンも影響されます。
心理学でいうところのシンクロニー現象ですね。
これ、わざとじゃないんですよ。
これを故意にやることをミラーリングといって相手に好感を持たせる技として紹介されていたりしますが、私の場合、故意に、かつ相手に気付かれないよう自然に真似るなんて複雑なことはできません。
器用貧乏なので何でもできそうに思われがちなのですが、私は嘘が吐けないので、変な下心を持った状態で知らぬフリとかできないんですよね…(-_-;)
自覚してやっているわけではないので自分では気付かぬまま大人になったのですが、いろいろ過去の出来事などを振り返り、各事案の共通点などを突き合わせて見ると、どうも“そうかもしれない”と、最近思い至ったわけで…。
たとえば私の血液型を推測してもらったりすると、その答える相手自身の血液型を答える率が高いとか、帰国子女(数人)から「帰国子女っぽいよね」と言われたり。左利きの人に「左利きっぽいよね」と言われたりします。左利きのフリをしたわけでは全くないのですが(笑)
また、「俺の若い頃に似てるんだよ」と教師に言われたりします(たぶん性格や雰囲気が)。
また、自覚できているところでは、「大雑把」な性格の人と行動していると私も大雑把な面が前面に出ますし、「はっきりモノを言う」人と一緒にいると、私もそうなります。「よく笑う」人と喋っていると私も普段よりよく笑います。
要するに、鏡のようなもので。
ですので、極端なことをいうと、私と親交のある方は、私に対してのイメージそっくりそのまま、ご自分のイメージに当てはまるということも多分にあるのでは、と密かに考えています。
たとえば私に対して「優しい」というイメージを持っている方は、ご自分が「優しい」のだと思います。
「素直」と感じる方はご自身が「素直」な性格だし、「努力家」だと思う方はご自身が「努力家」なのでしょう。「賢い」と思う方は、(以下略)。
なんだか自分でほめ言葉を連ねるのも気持ち悪いですが、どれも一応人から言われたことのある言葉です。
そして実際、私を「優しい」と評してくれた人は私から見れば当人の方が優しいし、「賢い」と評してくれた人は聡明な方だと私は感じます。
(なお「努力家」とか「賢い」とかは雰囲気だけに左右されるものではありませんが、そこを私の特徴として特に評価してくださるということは、ご本人もそのことを重要視なさって生きているということだと、私は思います。)
ただし例外として、私のことを「おっちょこちょい」だと思う人は、必ずしも「おっちょこちょい」ではないと思います(笑)
なぜならおっちょこちょいという私の一面は、几帳面な相手に同調していたとしても、隠しきれずに出てしまうこともあるからです。なにせおっちょこちょいですから…(-_-;)
そんなわけで、わざと態度を変えている意識は私にはないのですが、自然に相手に合わせてしまうので、人によって少しずつ私の印象が違うということはあるようです。
まあ、私に限ったことでなく、誰しもある程度はすることだと思いますが。
と、いうわけで、何が言いたかったかというと、要するに先生方が私のことを「生意気だ」と感じるのは、先生方の性格を反映しているのでは、と思ったわけです。
大体、ちょっとニヒリスティックなものの言い方をする先生が私のことを「生意気」扱いします(笑)
でも私としては、他の先生に対するのと同じように、きちんと敬語を使って、特に変な発言をするでもなく、真面目に会話をしているつもりなんですけどねぇ…。
本当に、自分では心当たりがないんですよ。
でも何か生意気な雰囲気が出てるんでしょうね(笑)
本当に、人間って自分のことすらよくわからない。おかしなものですね…。
≪まとめ≫
この項で言いたかったのは、要するに、私は無愛想だったり目を合わせなかったりする人間ですが、それは相手を嫌いだからではないのです、ということでした。
ほんとは皆さんと仲良くしたいんですよ。
よろしくお願いします。