top of page

日々の思惑と回想 PASTIME

…創作とは関係なく、私の単なる個人的趣味嗜好について語っているページです(笑) ご興味のある方は、どうぞお付き合いください♪ 

<2015年 執筆>

近年、JAZZを歌っています。JAZZ BARなどで。

 

学生時代にずっとミュージカルをやっていたので、人前で歌うことに慣れてはいるのですが、そうは言っても独唱するような役には滅多につかない為、やはり一人で歌うのは緊張します。

 

高校時代辺りから、JAZZっぽい曲も好きだなー、なんて思ったりして、大学に入ってJAZZ愛好会(通称:ジャズ研)に見学に行ったりもしたんですが、いかんせん小心者なので、ジャズ研のおしゃれな雰囲気に馴染めず、結局入会せずじまい。

代わりにミュージカルサークルに入り、歌ったり踊ったり台詞言ったり、舞台美術作ったりしてました。※この辺については「演劇歴が長い話」にて詳しく述べております。

 

 

大学を卒業してからは、一般企業に就職したので演劇やら音楽やらとは疎遠になってしまったのですが、そもそも「3年間働いてみて、面白かったら続けるし、合わなかったら辞めよう」と思っていた為(あまり採用したくないタイプですね)、結果、3年1ヶ月後に退職する運びとなりました。

 

まあその他に、ストレスからか自律神経を失調してしまったこともあり、惜しまれながらも(自分で言うか)円満退職させていただいたのですが、しばらくはひきこもっていました。

 

 

で、ようやく活動的な気持ちになってきた頃、ふと「歌をきちんと習いたいな」と思い至り、ネットで検索して見つけたボーカルスクールに通うことにしました。

そこでとてもいい先生に巡り会うことができ、その先生のおかげで今、人前でJAZZを歌っています。

私が受講しているのはJAZZボーカルのクラスではないのですが、先生がJAZZ歌手である為、「野本さん、JAZZも歌うといいわよ」と薦めてくださり、教えていただいています。

ちなみにその先生は、偶然私と同じ名前(MAHO)で歌手活動をなさっていて、なんだか縁を感じてしまいますね。


また、JAZZ以外にもJーPOPや自作の曲を、友人達と開くLIVEなどで披露したりしております。

その際は、このHPの ABOUT ME > NOTICEページ及びブログで告知しますので、ご興味ございましたら是非。

 

 

≪ドラムもやる≫

さらに言うと、私は昔からドラムに興味があり(それでジャズ研に行ったんですが)、歌を習おうと思い立ったと同時に、この際だからドラムも習うべきだ!と自分に言い聞かせ(笑)、ドキドキしながら近所のミュージックスクールの門をくぐりました。

 

 

ところで、ジャズ研に入れなかった件でもわかるように、私はいわゆるミュージシャンのような、音楽をバリバリやる方達の雰囲気がちょっぴり苦手です。

なぜなら、「音楽を愛している」「音楽ならだれにも負けない」という強い自信を持ちつつ、なんのてらいもなく音楽を心から楽しんでいる、そんな生き方が羨ましいから(たぶん)。

 

私は変な所でニヒリスティックなものの見方をしてしまうので、そういう風にはなれないと自覚しています。

また、下手に器用貧乏なので、「自分はこれなら負けない」といえる分野が持てない。

そんなコンプレックスがあるようで。

 

でも最近は音楽をやる人たちと交流する機会が増え、段々慣れてはきました。
人間、慣れは大切です。

 

 

話を戻しますが、そんなわけで初めはそのスクールに近寄るのすら怖かったです(ホントに)。

でも「やらないで後悔より、やって後悔する方がいい」と思って生きることにしているので、勇気を出して行きました(ただお店に行くだけなのに大袈裟な…)。

 

で、結果、後悔どころか、習うことにして本当に良かったと思っています。

なぜならとても楽しいから。

上達することももちろんですが、純粋に叩いていて楽しいし、何より先生がとてもいい先生で、私は恵まれているなあとしみじみ感じています。

 

 

≪そんな私の今後≫

そんなわけで(?)、私は今、JAZZを歌いながらドラムを演奏するという課題に挑戦中

歌の先生のリクエストで、先生主宰のセッションにて近々披露しなければなりません(*_*;

両手両足だけでも大変なのに……でも頑張ります。

 

もし披露する機会が訪れましたら、NOTICEページ及びブログにて告知いたしますので、もしご興味がありましたら時折チェックしてみてください。(もしくはご希望の方にはご連絡差し上げます。)

 

追記:
まだJAZZを歌いながら叩くことは公の場でやってないのですが、それよりも前に「J-POPを叩きながら歌う」という挑戦をすることになりました。
2015年5月、ミュージックスクール主宰の発表会にて、プリプリのダイアモンドをバンド演奏しながら要所要所でコーラスを入れる、という…。
結果は、ブログにて近々ご報告します♪

私は小学校6年から大学卒業までずっと部活やサークルで演劇に携わっていたので、大学卒業後、「芝居の稽古が無い」という日常生活に非常に違和感を覚えました。

 

演劇界ってのは、芸術寄りの顔して意外と体育会系な面があり、何はともあれ体が資本。

基本的には毎日稽古があり、腹筋・背筋・柔軟運動・スクワットなどを欠かさず基礎体力を維持(他にも演劇界ならではの謎の厳しい訓練が多数)。

学生は、本番が迫ると真夏だろうが真冬だろうがエアコンも無い教室で丸一日稽古をしたりします。

 

 

≪お金をもらわずに働く≫

また、当然ですが、サークル活動では大道具も小道具も衣装も照明も音響もスケジュール管理も全て、自分たちでやらねばなりません。

みんな学生なので、本分は学業なのですが、時にはそれそっちのけでやります。

衣装が作り終わらないので徹夜したり、舞台美術を作るのに寒い屋外で何日もベニヤと電動ドリルとノコギリと戯れたり、大学側の都合で稽古場所が取れなくて必死で公民館の空き部屋を探したり、せっかくプランニングした照明も演出に却下されたり、本番まで紆余曲折

 

そしてさらに、どこからもお金はもらえません。

まあ一応、大学から出る補助費もありましたが、当然足りず。

木戸銭を取る方針の学生劇団もありますが、それも主に学生対象ですから安いですし、私の居たサークルなどは観劇料を取らない方針だった為、部員から集めたなけなしのお金でなんとかやりくりしていました。

 

ですので、演劇をサークル活動でやっていた者は、どんなに労働しても無報酬、ということに慣れているきらいがあります(苦笑)

実際、初めて給料をもらった時には不思議な気持ちがしたものです。

「労働して、お金がもらえるなんて」と。ああ、なんていい社員なんだろう(笑)

 

 

≪何が楽しいのか≫

それでもみんな一生懸命やってしまうのは、やはりそれなりの見返りがあるからです。

先程、無報酬といいましたが、正確には金銭以外で色々得るものがあります。

 

何と言っても、本番の緊張感・高揚感。そして終演後の解放感。

これはお金では買えないですね。

また、みんな真剣に向き合っているので時には衝突もありますが、紆余曲折を経て大勢で何かを作り上げる一体感みたいなものも、演劇ならではの魅力だと思います。

 

役者に関して言えば、「自分ではない誰か」になれるというのも、非常に大きな魅力です。

ちなみに役者をやるタイプの人間は2種類に大別できます。(私個人の見解ですが。)

「目立ちたがり屋」と「引っ込み思案」。

二つは全く正反対のタイプですが、両方います。ちなみに私は後者のタイプ。

「目立ちたがり屋」は想像できると思いますが、「引っ込み思案」でなぜ演劇をやるのかと言えば、先程述べたように「自分以外の誰かになりたい」からだと思います。

(もちろん、引っ込み思案の人全てが演劇をやりたいわけではありません。一部の引っ込み思案の方の中に、そういったタイプがいるということです。)

 

ちなみに、私も色々な役をやってきましたが、演じていて楽しいのは不良(しかもチンピラ系)ですね(笑)

たぶん、私が社会人になってから知り合った方は、私がチンピラになってるのは想像もつかないでしょうが(笑)

※この辺の話は「間違えられる話」にて語ってますので是非。

 

 

≪演出の苦労と幸せ≫

ミュージカルサークルでは、演出も2度やらせていただきました。

「演出」というのは、その舞台全体を、どんな風にするか決める人です。

だから、役者の台詞の言い方から、照明・音響の具合、舞台美術のイメージなど全ての決定権を持ちます。

ある意味、一番“エライ”人。やることが多すぎて大変。

でも、演出ってのは、みんなに支えられて初めてできる仕事なんですよ。

逆に言うと、一人じゃ何にもできないんだから。

 

本当に、私が演出した時に協力してくださった全ての方に感謝します。

しかも、私ってば2回とも、演出やりながら役者でも出ちゃってるから、相当周りに苦労かけました。2回目は3人で演出を担当するという変化球的荒業だったのですが、その時もみんなに支えられました。

 

ちなみに1回目に演出をした「CRAZY FOR YOU」という作品では、どうしてもウッドベースを弾ける役者が欲しかった為、学内で捜していた所、部員のツテでなんとジャズ研の会長が出演・演奏してくれることになりました。

ちなみにその会長はとっても温厚な方で、私の抱いている“ミュージシャン・コンプレックス”(なんだそりゃ)を少し解消してくれました(笑)

もちろん演奏も素晴らしく、そもそも、まさかジャズ研の会長が私の演出作品に出てくれるなんて思いもしなかったので、これまた恵まれてることに感謝した出来事でした。

 

この作品に関しては、他にも奇跡的に恵まれたことがたくさんあったのですが、その一つに、タップダンサーに出演・協力していただけたということがあります。

そのミュージカルではタップダンスが欠かせないので、なんとか役者にタップダンスを踊らせたかったのですが、私自身習いたてで、人に教えるほどの腕前はもちろんなく、どうしようかと思案していた所、これまた部員のツテで、“在学中の社会人でタップダンスのプロ”の方に教えてもらえることになったのです。

そして特訓の末、なんとか役者陣はタップダンスを覚え、無事公演を終えることができました。

 

他にも感謝したいことがたくさんあったのですが、キリが無いので今回はこのくらいで。

 

どちらの作品も、長かったようであっという間に過ぎ、良い思い出だけが残っています。

(…いや、皆さんに苦労をかけたことは憶えてますよ。自分が大変だったことは忘れましたけど。

 

あんな大人数の団体の中心に私がいたなんて、今でも信じられません。(写真参照)

何が引っ込み思案だよ、て話ですよね…。

皆様、本当にありがとうございました。

特技は何ですかと訊かれて、「落語ができます」という人間は珍しい部類に入ると思います。

私はその珍しい方の輩だったりする…。

 

事の発端は、高校の芸術鑑賞会で浪曲師の国本武春氏の口演を見たこと。

何がどうとは言えないんですが、とにかく「なんかカッコイイなあ」と思いました。

もちろん落語と浪曲は違うんですが大きな括りでは似ているわけで、結果「大学に入ったら落語研究会に入ろう」という思いが生まれたわけです。

 

実はさらに遡れば、小学校の図書室で読んだ子供向けの落語本が、落語との最初の出会いでした。

当時はただ面白い話が書いてある本だと思っていたのですが、長じてそれが落語の噺だったと知りました。

また、当時は児童の間で怪談が流行っており、私もお化けが嫌いなくせに、怖いもの見たさが高じて怯えながらいろいろ読んでいました(笑) しかもただ読むだけでなく、休み時間に皆の前で朗読のようなことをしていたこともありました(変な子供)。

おそらく、この流れから落語に興味を持つに至ったものと思います。

 

 

≪落語ってなんだ≫

落語のことはよくわからない、という方が大半だと思いますので簡単に説明すると、落語というのは「着物を着て座布団の上に座って面白い話をする」芸のことです。

(それくらいは知ってるか(笑))

この時に使うのが扇子と手拭いだけとか(上方落語は見台という台も使う)、細かい決まりも色々ありますが、それはまあ置いといて。

 

有名なところでいうと「寿限無(じゅげむ)」とか「饅頭(まんじゅう)怖い」とか「時そば」などの噺(落語の”話”はこちらの字を使うことが多い)があります。

 

これらの噺は、基本的なテキストは決まっていますが、流派によって、また演者によって変わります。
まずは師匠のを見て憶え、独り立ちしたら自分のオリジナリティを加える、といったところ。
ほとんどは「古典落語」と呼ばれる昔から引き継がれてきた噺ですが、稀に落語家が自ら新しく創作することもあります。

 

噺の長さはピンキリで、短いものは10分程度、長いものだと40~50分のもあり、平均は15~20分といったところでしょうか。大作では、1時間を越すものも。

その間ずーっと一人で喋ってるのだから、スゴイ芸だと思います。

 

私も40分程度のものはやったことがありますが、やはり大変です。

まず、暗記するのが大変だし、何よりお客様を飽きさせないようにするのが大変。

噺自体が面白ければなんとかもつ場合もありますが、でもやはりそれだけでは難しい。

いわゆる“間”とか言い方とか言葉のチョイスとか、時には顔芸も挿んだりして、とにかく人を面白がらせる技術を総動員しなければならない。

 

さらに深く追求するなら、笑わせる以外の技術も要求されます。

落語は基本的には笑い話が多いですが、中には人情噺といわれる感動するストーリーや、怖がらせる怪談噺などもあります。

(そういった噺でも笑い所を挟むことは多いので、卓越した話術が要求される。)

ちなみに私は幽霊・物の怪の出る噺が好きなので、そういうのばかり演っていました(笑)

 

 

と、ここまで大変な点ばかりを挙げてきましたが、楽しみはもちろんあります。

 

何が魅力かと言えば、「お客様を笑わせた時の快感」。

もうこの一言に尽きますね。

 

自分が考えた、言った台詞で人が笑うというのは、掛け値なしに嬉しいものです。

皆さんも日常生活で、自分が言ったことで相手が面白がったり笑ってくれたりして、嬉しい気持ちになった覚えがあるのではないでしょうか。

世の中の“芸人”と呼ばれる人たちは全て、「人を楽しませること」を使命として日夜研鑽しているわけで、それってとても平和で素敵なことだなあと思ったりします。

(もちろん世の中の全ての職業には、何かしら意義があるものですが。)

笑うと免疫力が上がる、という研究結果もありますし。

“笑う”って、素晴らしいことですよね

 

 

しかし、「人を笑わせる」…その魅力は諸刃の剣です。

なぜなら笑ってもらえないこともあるから!

 

そう、いわゆる「スベッた」というやつですね。

芸人は何よりこれを恐れます(笑)

笑わせることができた時のあの、人々に受け入れられた感覚とは正反対の、疎外感を一瞬にして感じます。それはもう身も凍るほどに。

 

基本的に、芸人的なことをやる人間は愛されたい願望がある(と私は思っている)ので、これほどツライことはないですね。

ですから、すべることがないように、一生懸命工夫を凝らし練習します。

人を笑わせるって、奥が深い…。

 

 

≪落語研究会≫

を戻しますが、大学に無事合格して、どこのサークルに入るかドキドキしながら考えます。

そして、前述のようにジャズ研に見学に行き、入部を断念(苦笑)。

ずっとやっていた演劇はもちろん興味がありますから、見学に行きます。そして、学内に4つある劇団のうち、唯一ミュージカルをやっているサークルに入りました。

 

で、問題の落語研究会(以下落研)ですが、これがもう、変な集団。

あとでわかったことですが、各大学に落研というものはあれど、私の入学した筑波大学の落研は特に変人が多い(断言)。

まあとにかく当時の筑大落研では、入部希望の新入生に「100の質問」と言って、教室の前に立たせてとにかく質問を浴びせることをしまして。

その後、その質問の回答を元に、どの亭号に入れるか決めます。

亭号というのは、プロでいうところの「古今亭」「林家」「桂」などのことです。

どこの落研にもそれぞれ独特の亭号があり、大抵はその大学に関する単語を使ったり、駄洒落などになっています。

例:筑波亭 團吉(つくばてい・だんきち)、梅丹亭 呆無頭(めいたんてい・ほーむず)など

 

筑大落研には6つの亭号があり、その中のどこかに振り分けるわけです。

各亭号にそれぞれカラ―があり、「こいつはこの亭号だな」と独断と偏見で勝手に決められます。(でもハッキリした基準があるわけではないので、本当に、“なんとなく”決められる。)

そして、亭号に合わせた名前を決めます。それを高座名と呼び、落研で活動する時はその名前を使います。

ちなみに、筑大落研の高座名は下ネタが過半数を占めるので、ここで紹介するのはやめておきます(笑) 気になる方は、「筑波大学落語研究会」HPをご覧ください。

 

※NHK系列で放映される「全日本学生落語選手権」で我が落研部員が決勝進出した際、高座名が放送コードに触れるのでは?と落研内で心配されました。結局大丈夫でしたが(笑)

 

 

なお、私の高座名は下ネタではありませんのでご安心ください(笑)

 

え、どんなのか気になる?じゃあまあ、隠すようなことでもないので書きますが(笑)

私は返還亭担保歩(かえしてい・たんぽぽ)という高座名でした。

この亭号は「返してほしそうなもの」の名前を付ける決まりです。

他に返還亭青春さんなどがおります。

私の場合は、「担保」を返してほしいわけなのですが、先輩(女性。そして美人)による、「(響きが)かわいいから“ぽ”をつけてたんぽぽにしよう」という鶴の一声により、決定。

 

なお、筑大落研部員はお互いを高座名で呼び合います。

気持ち悪いですね(笑) 私は嫌いじゃないですが(笑)

なので、私の師匠などは、麗久舎駐車違反(れいきゅうしゃ・ちゅうしゃいはん)という高座名だった為、学外だろうがなんだろうが「駐車違反さん」と呼ばれていました

 

入る亭号が決まると、既にその亭号にいる先輩部員が自動的に師匠になります。

ちなみになぜ私の師匠なのに「返還亭」ではないのかというと、各亭号に亜号と呼ばれるものがあり、時々その亜号の方が使用されることがあるからです。この「麗久舎」はもちろん葬式に関連する名前を付けるのですが(例:麗久舎笑好 れいきゅうしゃ・しょうこう)、ネタが切れてきたことと、師匠のキャラクターが少々変わっていた為に、こんな名前が付けられた模様

 

 

≪意外と多忙な落研≫

さて、ミュージカルサークルと兼部をすることになった私ですが、基本的に役者としてミュージカルに参加する期間は、毎日18~21時に稽古があります。

落研の方はというと、毎週月曜のミーティング以外は、決まったスケジュールはありません。

ですが、毎月1回落語会を開催するので、個人練習と稽古会はあります。

落語会には必ず出なければいけないわけでなく、「来月は誰出る?」という感じの立候補制なのですが、まあそれなりに出ないと上手くもならないので、結果、年に数回は出ることになります。

プラス、月に平均1~2回程、市井の団体などから余興の依頼があるので、さらに高座にあがる機会は増えます。

そんなわけで、なんだかんだでどちらにも参加していた私は、かなり多忙でした。

どうしてもやりくりしきれずどちらかに(もしくはどちらにも)迷惑をかけることもありましたが、なんとか両方辞めずに4年間やり通させていただきました

 

しかも、3年次にはなんと会長になってしまい、大学内のサークル連合の会議出席の義務が発生したりしましたが、それより渉外係や会計係の方が何かとやることが多いので、ある意味ラクさせてもらいました。感謝。

 

同じ頃、ミュージカルサークルの団長も決めなければならなかったのですが、なんとここでも、私を推薦してくれる意見が。(まあ実を言うと、既にサークル連合の会議に出席が決まっている人間がいるのだから、兼ねてもらった方が一人分の時間を節約できるという理由が大きかったのだと思いますが。)

 

でも結局、「二つのサークルを兼ねて出席すると、このサークルが軽く見られるんじゃないか」という意見が勝ち、私は団長にはなりませんでした。

しかし、もしミュージカルサークルの方が先に決めていたら、もしかしたら両方「長」になっていたかもしれない…。両団体とも、こんな掛け持ち野郎をよく推薦してくれたなあ、と今でもありがたく思っております。

 

 

≪落語家の先輩≫

落語家への道は、落語家に弟子入りすることから始まります。

まず師匠の身の回りの世話をしながら勉強をする「前座」になり、認められれば「二つ目」に昇進します。この二つ目になると、一応独り立ちしたということになり、自分で落語会を開いたりできます。その活動の実績・実力を認められると、最高の肩書「真打ち」になります。

 

2013年、筑大落研のOBが一人、落語家として独り立ちしました。

「立川志のぽん」といいます。

立川志の輔の4番弟子。現在二つ目です。

 

私が入学した時には既にOBだったので、一緒にサークル活動をしたわけではないのですが、落語会を見に来てくださったり、現役生の呑み代を払ってくれたり、馬鹿話で一緒に盛り上がったり、何かとお世話になりました。

ちなみに現役時代の高座名は「麗久舎小砲棒(れいきゅうしゃ・こつつぼ)」。

なので、私は今でもこつつぼさんと呼ばせていただいてます(笑)

 

そんな縁で、近年、独演会のお手伝いなどをしております。

小柄で眼鏡で色白でハスキーボイスの、およそ落語家らしくない落語家ですが(笑)、自称オタクの個性溢れるマクラ(噺前の雑談)と、長い前座生活で培った話術でお楽しみいただけると思います。

落語家を呼びたいイベントがありましたら、是非お声かけください。

皆様、どうぞご贔屓に。

以上、宣伝でした(笑)

 

 

≪最後に≫
と、長々知ったようなことを書いてきましたが、実は私、落語たいして上手くありません(笑)
ブランクもあるので、「今すぐやって!」という要望にはお応えできませんのであしからず…!

私は人見知りの激しい人間です。

シャイです。知らない人にはなかなか自分から話しかけられません。

でも、話しかけなくてはならない場合は、ちゃんとします。

そもそもフリーデザイナーなんて仕事は営業してなんぼですからね…。

自分から売り込まなきゃ、何の仕事も来ないんだから(-_-;)

 

サラリーマン時代は、販売業だったので接客もしましたし、実は営業部にもいたので取引先の方ともよくやりとりしていました。

ここで揉まれたので、生来の引っ込み思案もだいぶマシになったかなとは思います。

しかし、そんな内心とはウラハラに、「私人見知り激しいんです」と言うと、「そうは見えない」とよく言われます(笑)

演劇やってたこともあって、なんだかんだでうまいことそれっぽく繕っちゃうんでしょうね…。

 

 

≪目を合わせるのは苦手≫

高校時代、国語の先生が、「自分は人の目が見られない人間だ」とよく言っていました。

私も同じ人種です。基本的に人の目を見るのは苦手です。

 

なぜかわかりませんが、とにかく昔からそうでした。

あまりにそれが顕著なので、大学時代には落研部員に「担保歩っていっつも流し目だよね。こっち向かないよね」とはっきり指摘されたことも。

(落研部員はデリカシーが無いので、うちとけてくるとはっきりものを言います。疑問に思ったことは大体訊きます。でも悪気は全くない。この時も無邪気に「何で?」と訊かれただけ。)

 

おそらくですが、その人の顔を見たくないからではなく、私の顔を見られたくないという気持ちからじゃないかと思います。
…いや、それもちょっと違うな。「見られたくない」というよりは、「目が合ってしまうと気恥ずかしい」というのが正確かもしれません。
”見られてるな”と感じた時、別に嫌な気持ちになるわけではないので。単に照れてしまうというか。
それなら、舞台に立ってる時はいくら見られていても平気だという説明もつく。
芝居の場合、客席からの視線は私を見ているのかどうか暗くてハッキリわかりませんし、落語の高座にしても、お客さんと目が合う
のは(私の場合)ごく稀ですから。

 

そういえば昔、同級生の女の子がわざと私の目を正面からじっと見つめてきて、私が堪え切れずに目を逸らすと「カワイーイ!」とからかわれたことがあります。
そういうの、やめてほしい(苦笑)

 

 

さすがに社会人になってからは、失礼にならないよう、適度に相手を見るように気を付けていますが、むしろ気のおけない友人に対しては、いつまでも同じですね。私が目を合わせなくても、それは嫌悪感の表出ではないことをわかってくれる(と思う)からです。

 

 

≪親切にしてもらえる話≫

以上のように、私の生来の気質としてはシャイな上に無愛想なので、あまり人とコミュニケーションを積極的にとれるタイプではありません。

演劇をやりたいと思うのは、本当は他人とうちとけたいという自身の願望を、仮初めにでも体験させてくれるからかもしれません。

 

そんな私ですが、なぜかいろいろな方に、よくしてもらえます。

相手がフレンドリーな態度だったり、親切にしてもらったりすることがよくあります。

 

わかりやすい例は、私はいつまでも人の名前を初めに会った時のまま、苗字に「さん」付けで呼んでしまい、“うちとけたからあだ名に変更”ということができないのですが、相手は勝手に私にあだ名を付けて呼んだり、ある時急に名前呼びに切り替えたりしてくることがよくあります(笑) しかも男女関係なく。

私としては非常に嬉しいのですが、いつも、どういう要素が相手にそうさせるのだろう?と不思議に思っています。

人懐っこそうに見えるんですかね(笑) 自分ではそんな意識ないのですが。

確かに一度でも挨拶する機会があれば、その後は愛想良く対応するようにしてはいるのですが、若い頃はとっつきにくそうと思われることが多かったので…。

成長して丸くなったんでしょうか。

 

そういえば、上司(女性)に「野本さんって犬みたいだよね!」と言われたり(笑)、ディズニーリゾート内の売店でバイトをしている時に、大量買いのお客様(カゴ目一杯、50~60点持ってくる方が時々いらっしゃる)がなぜか私のレジによく来る(「野本さんのレジ、大量買いのお客様よく来るよね!」と先輩に言われる。レジの位置は毎回変わるので、ポジショニングの問題ではないらしい。)とか、ありました(笑)

 

 

≪結局人が好き≫

そんな私ですが、自分なりに、親切にしてもらった方にはできる限り恩を返したいと思って生きています。

 

座右の銘は「情けは人の為ならず」。人に親切にすることは、その相手の為だけではない。

まわりまわって自分に還ってくるんだよ。という。

座右の銘というよりは、日々実感している、と言った方が近いかな。

座右の銘って言っちゃうと、結局己の為かい!という感じがしないでもないのでね…(-_-;)

(まあでも、人間生きている限り、全てのことは結局己の為だと思ってますけど。)

 

いや、本当に、日常人に親切にするといろんな人が親切にしてくれるんですよ。

で、親切にしてもらうと、自然とお返ししたいなあと思うわけで。

日々こういうことを感じられるって、有難いことだなあと思います。

 

心理学で“好意の返報性”という言葉がありますが、私はどうもその傾向が強い。

私に好意を示してくれた人には、同じように好意を返しますよ、ということですが。なんですかこれ、自己アピール欄みたいになってきましたね(苦笑)

 

でもとにかく、私に優しくしてくださった方には、もれなくお返しをします。

それは私の人生方針として確固たるものです。

ただ、そのお返しについて満足していただけるかどうかは私の知る所ではありません(笑)

できる限り、ですから。

(上司にジュースをおごってもらったら、いつにもまして一生懸命働くとか、そういうレベルです(^_^;) )

そんなわけで皆さん、私と関わる際は是非優しくしてくださいね♪(笑)

 

 

≪私が生意気であることを責任転嫁する斬新な論理≫

ところで私は学生の頃、なぜか先生方から“生意気なヤツ”みたいに思われることが多く、

「まあ野本のことだからな」みたいな扱いをされることがしばしばありました。

私としては心外で(笑)、こんなに大人しく真面目にやっているのに、なぜそういう扱われ方なのか?と常々疑問に思っていました。(まあ、好意の表現の一種であることはわかっているので、決して嫌だったわけではないのですが。)

 

 

で、最近思いついた仮説があるのですが…。

 

 

まず、どうも私は対峙する相手に極度に同調してしまうらしい。

ここでいう同調と言うのは、同意するという意味ではなく、気分や気持ちを合わせるといったような意味です。

もちろん、数人で会話している時は誰か一人に合わせるのは無理ですが、それでも、その場にいる人たちが好みそうな受け答えをするのは間違いない。

(好みそう、というのは、単に意見を肯定することではなくて、否定する場合でも相手が満足するような言い方をするとか、そういうことです。)

 

で、ここからが重要なんですが、同調してしまうあまり、相手に似た行動を自然にとってしまうらしい。行動だけでなく、喋り方や思考パターンも影響されます。

心理学でいうところのシンクロニー現象ですね。

 

これ、わざとじゃないんですよ。

これを故意にやることをミラーリングといって相手に好感を持たせる技として紹介されていたりしますが、私の場合、故意に、かつ相手に気付かれないよう自然に真似るなんて複雑なことはできません。

器用貧乏なので何でもできそうに思われがちなのですが、私は嘘が吐けないので、変な下心を持った状態で知らぬフリとかできないんですよね…(-_-;)

 

自覚してやっているわけではないので自分では気付かぬまま大人になったのですが、いろいろ過去の出来事などを振り返り、各事案の共通点などを突き合わせて見ると、どうも“そうかもしれない”と、最近思い至ったわけで…。

 

たとえば私の血液型を推測してもらったりすると、その答える相手自身の血液型を答える率が高いとか、帰国子女(数人)から「帰国子女っぽいよね」と言われたり。左利きの人に「左利きっぽいよね」と言われたりします。左利きのフリをしたわけでは全くないのですが(笑)

また、「俺の若い頃に似てるんだよ」と教師に言われたりします(たぶん性格や雰囲気が)。 

 

また、自覚できているところでは、「大雑把」な性格の人と行動していると私も大雑把な面が前面に出ますし、「はっきりモノを言う」人と一緒にいると、私もそうなります。「よく笑う」人と喋っていると私も普段よりよく笑います。

 

 

要するに、鏡のようなもので。

ですので、極端なことをいうと、私と親交のある方は、私に対してのイメージそっくりそのまま、ご自分のイメージに当てはまるということも多分にあるのでは、と密かに考えています。

 

たとえば私に対して「優しい」というイメージを持っている方は、ご自分が「優しい」のだと思います。

「素直」と感じる方はご自身が「素直」な性格だし、「努力家」だと思う方はご自身が「努力家」なのでしょう。「賢い」と思う方は、(以下略)。

 

なんだか自分でほめ言葉を連ねるのも気持ち悪いですが、どれも一応人から言われたことのある言葉です。

そして実際、私を「優しい」と評してくれた人は私から見れば当人の方が優しいし、「賢い」と評してくれた人は聡明な方だと私は感じます。

なお「努力家」とか「賢い」とかは雰囲気だけに左右されるものではありませんが、そこを私の特徴として特に評価してくださるということは、ご本人もそのことを重要視なさって生きているということだと、私は思います。)

 

ただし例外として、私のことを「おっちょこちょい」だと思う人は、必ずしも「おっちょこちょい」ではないと思います(笑)

なぜならおっちょこちょいという私の一面は、几帳面な相手に同調していたとしても、隠しきれずに出てしまうこともあるからです。なにせおっちょこちょいですから…(-_-;)

 

 

そんなわけで、わざと態度を変えている意識は私にはないのですが、自然に相手に合わせてしまうので、人によって少しずつ私の印象が違うということはあるようです。

まあ、私に限ったことでなく、誰しもある程度はすることだと思いますが。

 

 

 

と、いうわけで、何が言いたかったかというと、要するに先生方が私のことを「生意気だ」と感じるのは、先生方の性格を反映しているのでは、と思ったわけです。

大体、ちょっとニヒリスティックなものの言い方をする先生が私のことを「生意気」扱いします(笑)

 

でも私としては、他の先生に対するのと同じように、きちんと敬語を使って、特に変な発言をするでもなく、真面目に会話をしているつもりなんですけどねぇ…。

本当に、自分では心当たりがないんですよ。

でも何か生意気な雰囲気が出てるんでしょうね(笑)

本当に、人間って自分のことすらよくわからない。おかしなものですね…。

 

 

≪まとめ≫

この項で言いたかったのは、要するに、私は無愛想だったり目を合わせなかったりする人間ですが、それは相手を嫌いだからではないのです、ということでした。

ほんとは皆さんと仲良くしたいんですよ。

よろしくお願いします。

男性によく間違われます。

ということは、私は男性ではないということですが、ここまでこのHPを見てくださった方で、なおかつ私本人と面識が無い方は、どうお思いになったでしょうか?

まあ名前が女性っぽいので、そのあたりでどう思うかもありますが(ただ“まほ”という名前の男性は稀にいるようですが)、私は文章も男っぽいといわれたことがあるので、どうなのかなあと思うわけです。

 

 

≪なぜそうなったのか≫

ところで、なぜ男性によく間違われるのかといえば、見た目がそう見えるからに決まってますが、じゃあなぜそういう見た目になったかといえば、ずっと演劇をやっていたことに関係があります。

実は演劇をやっている間、ずっと男役しかやらなかったんです。

 

初めは、女子しかいないから誰かが男役をやらなくてはならない、というだけのことでした。

で、背が高くもショートカットの私は無論男役に抜擢されるわけですが、それが2~3回続いてくると、俄然使命感が出てくるわけです。

 

「男役で舞台に立つからには、男性に見えるようになるべきである」

 

もう、演技が上手い下手以前に、最低限「男になりきる」という課題も科せられるわけで、台詞の言い方から動きまで、「男っぽい」って何だろう?と自問自答を重ねる日々。


通学電車内では、男性の座り方、立ち上がり方、吊革の掴まり方、毎日観察します。街中では、男性の歩き方、立ち方、喋り方、声の出し方、仕草などの特徴を探ります。

そして稽古中にそれをやってみるだけでは芯から身に付きませんから、日常から実践します。

 

ちなみに、声の出し方は、男女で違います。声の高さももちろんですが、息の出し方や言い回しの微妙なリズムなど。で、私はまあ素が男寄りなので(笑)、通常も男っぽい声の出し方に近いのですが、知らない電話番号からかかってきた時など、(もし相手がセールスや不審者だった場合)ナメられないように特に男っぽい声で対応したりします。

で、結果、実は知人からだったりして、「あれ?」と思われたりする(笑)

 

 

≪男役の魅力≫

男役って、面白いんですよ。

私の場合、性に合っていたので、もうこれ以上楽しいことはない(笑)

中学時代から数えると、役者として23作品に出演しましたが、全て男役でした。

 

少年から中年まで様々な役をやりましたが、やはりやっていて楽しいのはチンピラ系ですね(笑)

引っ込み思案の人間には絶対に言えないことが言え、やれないことがやれる。

胸倉を掴んだり掴まれたり、殴ったり蹴ったり、もあり。

「ふざけんじゃねえぞ」とか言っちゃう(笑)

 

ちなみに、大学のミュージカルサークルには男子部員もちゃんといたのですが、男子に混ざってやっていました。

実際の男性と、文字通り肩を並べなければならないので、高校時代よりさらに男らしさに磨きをかけるべく精進しましたね(笑)

まあ、喋り方とか動きとか細かい所なんですけど、やっぱり雰囲気自体を男らしくするには、そういう細かい点をいちいち気にして自分の素に落とし込んでいかないと、ふとした瞬間に不自然さが出てしまうことがあるので。

 

本番1~2ヶ月前からは、毎日胸にサラシを巻いて練習します。

これが、キツイ。

肺が圧迫されるので、歌もダンスも、していない時とは比べ物にならない。

人知れず他の役者さんよりハードな練習をしていたわけです。

まあ、巻かなくても大差ないよと言われてしまえばそれまでなんですが…(-_-;)

 

 

で、男らしさを通り越して、オカマっぽさを表現できればかなり来るとこまで来たということだな、と自分では思っていて(笑)、高校時代、小学生の男子役で、友達とふざけてる最中に突然ナースになりきるシーンがあり、そこで笑いを取れたら勝ちだと思っていました(笑)

結果、観客を笑わせることに成功(笑)

それに気を良くして、向上心に一層火が点いてしまったんでしょうね

 

 

また、ラブシーン的なものには縁が無かったのですが、一度だけ、ヒロインの不倫相手の役をやったことがありました。

抱き合った後に口論になりその挙句に射殺されるという、なんとも男冥利に尽きる(笑)役だったのですが、オープニング・ダンス・ナンバーをBGMに演ずるものだったので、ほとんど台詞は聴こえず、動きをオーバーにするしかない。

 

ちなみにこのミュージカルCHICAGO、女殺人者と辣腕弁護士を中心としたクールでセクシーな物語なんですが、いかんせん片田舎の大学生のこと、洗練されたセクシーさなど持ち合せているはずもなく…。

女性陣も男性陣も、演出に「セクシーさが足りない!」と檄を飛ばされながら、一生懸命セクシーさを追求していました(笑)

その通称:セクシー練(笑)では、リズムに合わせてモデルのように、かつセクシーな動きを意識して歩く訓練などさせられていました。

女子はまだ見られますが、男子のそれはまあ酷い(笑)

男のセクシーさってなんだ?と考えさせられました。(私はもちろん男性陣側

 

話は戻りますが、件のラブシーンでは相当イチャイチャしないと観客に伝わらない、ということで、セクシーを通り越して「エロさが足りない!」と怒られる始末。

しかも意外とその抱き合っているシーンの尺が長く、「これ以上はもう押し倒すしかなくなっちゃいますよぉ」という泣き言を言ってみたものの、「そこをなんとか、立ったままで!」(爆)

 

あれは恥ずかしかったですねぇ…。

しかも、練習を撮影したビデオを皆で見て反省会をしなければならない。

皆も気まずかったと思いますよ(-_-;) あと撮影係もね。

あの頃は毎日歯磨きガム噛んでたなあ…(苦笑)

まあ、具体的にどうイチャイチャしたかはご想像にお任せします(笑)

 

最終的に、どちらかというとあまりはしゃがないタイプの先輩(男性・照明担当)が、本番後に「まほちゃん、今日最高にエロかったよ!いやぁエロい!さすが!」と大絶賛してくださったのを覚えているので、多分そうだったんでしょう(笑)

しかし未だにそのシーンの映像を見る勇気はありません…(-_-;)

いつかもっと大人になったら、見られる日が来るのかな…(遠い目)

いやしかし、いろんな意味でいい経験させていただきました。

 

 

≪男扱いされることについて≫

そんなこんなで少しずつ、しかし確実に男らしさを身に付けていったわけで(笑)

そういう環境で生きてきたので、私にとって「男らしい」「男にしか見えない」と言われるのは、ほめ言葉であって、逆に「男には見えない」というようなことを言われると激しく落ち込んだものです(笑)

 

だって、男として舞台に立っている以上、「男に見えない」っていうのは、「演技が下手」「大根(役者)」ってことじゃないですか。で、日常でもそうするよう心がけていたので、舞台上じゃなくてもその影響は及びます。

まあ「男に見えないよ」と言われたのはまだ男役として駆け出しの頃で、同級生の女の子が、おそらく良かれと思って言ってくれた言葉なので仕方ないのですが。毎日セーラー服で会ってたしね…。ちなみにそれ以降、その言葉を誰かに言われたことはない気がします(^_^;)

 

 

※誤解のないよう述べますが、別に「女性扱いされるのが不愉快」ということではありません。
むしろどちらかというと、普段男らしくしなくてはと(勝手に)つっぱっている分、甘えてもいい立場に置かれると非常に
嬉しい。
なにしろ快楽至上主義者ですので。辛いこと・苦しいことは嫌いです(笑)


安直なフェミニスト野郎には虫唾が走りますが(あ、いけない。つい言葉遣いが乱暴に…)、私のことを本当に思って優しくしてくださるのはWelcome♪ (女性でも男性でも)

要するに、「女の子に優しくする”俺” が好き」という人はどうも苦手で…(自覚していようがいまいが)。

でも、そういう人とそうじゃない人は、ちゃんと判りますよ。

ですから、私に親切にしたいと思った時は、迷わずどうぞ(笑)


ただ、私にとって残念なことに、喜びを表現するのが苦手なので、親切にされて心中ではすごく喜んでるのに顔にあまり出てないということはよくあります。
そういう時は、すみません。お手数ですが、是非「ああ、本当は喜んでくれてるんだな」と解釈してください(苦笑)

 

 

≪女子にモテる話≫

で、話を元に戻すと。

舞台に立つ機会のない今、そんな男らしさを貫く生き方をする必要は無いようにも思えますが、思春期をそういう風に過ごしてきたら今さら変えられませんよ。

そういう人格になっちゃってるんだから(笑)

何より、そのスキルが上がるにつれて、人生において嬉しいこと楽しいこと、面白いことが格段に増えました。役者をやっている時以外でも。だからやめる理由が無い。

 

まあまず筆頭に挙げられるのは、女の子に好かれることですね(笑)

女の子に「カッコイイ!」と言われるのは大層嬉しいことです。

カワイイ女の子って、本当に“存在するだけ”で価値があるなあと私はよく思います(笑)

こんなこと言うとフェミニスト(女権拡張論者)に怒られそうですが、でもやっぱり「美しいもの」という意味で、芸術に通ずる所があると思うんですよね…。

本能的に目を奪われてしまうというか、価値を勝手に見出してしまうというか。

 

ちなみに、よく男性諸氏が、女の子にちょっとでも笑いかけられたりすると「俺のこと好きなんじゃねーか」と思ってしまうと聞きますが、その気持ち非常にわかります(笑)

そして、「いやいやそんなわけない」と己で打ち消す空しさ(-_-;)

 

 

で、「私ってモテるなあ」と自覚はしていたんですが(←アホ)、ある時ミュージカルの練習中に、演出の先輩(女子)から「ちょっと練習終わったら残ってくれる?」と真面目なトーンで言われ、「ヤバい、オレなんかやらかしたか?」と小心者の私は内心冷や汗だらだらだったのですが、フタを開けて見たら、サークルの女子全員でバレンタインチョコを私の為に作ってくれて、サプライズで渡してくれた、という出来事がありました…。

しかも男子部員には内緒なので、男子を追い払ってから(笑)

 

まさかそんなことがあるとは思わなかったので、あの時は本当にビックリしました。

(中高生の頃、確かにバレンタインチョコはよくもらっていましたが、すっかり忘れてた。)

とても嬉しかったのと同時に、自分の小心さ加減にうんざりしたことを覚えています(苦笑)

でもまあ自惚れ度はそこまでひどくはなかったってことで、ある意味自分に安堵(笑)

 

 

≪男子に羨まれる話≫

でもそうなってくると、彼女たちの彼氏が黙ってないだろうと思いきや、「まほちゃん(←サークル内では基本的に名前で呼び合うルール)ならしょうがないよね…カッコイイもん」という変な空気。

私は彼女たちが彼氏の前で私にキャーキャー言っているのをどんな顔で見ればいいのか、いつも困ったものです(贅沢な悩み!)。

でも結局私とは結婚もできないワケだし、現在彼女たちは彼氏と結婚して幸せに暮らしています。

そういうのを見ると、やっぱり最終的には私の負けだよなあ、と切なくなるワケで(-_-;)

 

また、後輩の男子部員からは「どーやったらまほさんみたいにモテるんですか?」としばしば訊かれる始末。

「知らん。まあ、そもそも男じゃないからなぁ。存在が非現実的っぽいというか。私がこのままで、ほんとに男だったら、案外モテてないかもよ。無愛想だしネクラだし。」とか、そういう会話を呑みながらしたり。

 

「俺、理想の男像はまほちゃんなんだよね」というしょーもない後輩もいました(笑)

モテたいならもっと現実的なことを考えろ!(笑)

…いいヤツなので、幸せになってもらいたいですね(^_^;)

 

 

ちなみに、男役というと宝塚歌劇団をよく引き合いに出されるのですが、私はあのような麗人ではありません。あちらは何より“清く正しく美しく”をモットーとされてるわけで、私は、“その辺にいるフツーのお兄ちゃん”を目指してますので(笑)

 

余談ですが、落研では男物の着物着てました。

そもそも女性用じゃ丈が足りなくて端折れないし(最近はちゃんと長めのがありますけどね)。

それに男性用の方が、着るのが断然ラクなんですよ。なので、私は男性用着物は一人で着られますが、女性用は着られません(帯の結び方とか忘れた)。

 

 

≪間違えられエピソード≫

ところで、日常生活で知人以外の人と接触する上で、自分が男だと思われてるのか女だと思われてるのかわからないってことは、普通ないですよね。

私はいつもそういう状況です(笑)

相手が自分を男だと思ってるのか、そうじゃないのかわからない。難儀な人生です。

まあでも別にそんなに不便なこともないんですがね。

 

しかし相手にとっては、性別不詳年齢不詳の厄介な人間てことになります(笑)

大抵は男性だと思うようですが、私と同じように短髪で眼鏡をかけているような女性には、女性だと見抜かれる確率が高いです。やはり人は自分の中に男性女性のデータベースを持っていて、それに照らし合わせて相手の性別を判断しているんだなあと思います。

 

話は逸れますが、一昔前、テレビでニューハーフの方と女性を並べて、誰がニューハーフか当てる企画がよくありました。

私はあれ、大抵当てられます。アゴと首を見れば大方わかりますが、さらに肩幅や顔の大きさなど骨格、場合によっては声の出し方で判別可能。

でも皆さん、女性らしさを追求されてて素晴らしいと思います。

たまに、女性に対して「せっかく女の子に生まれたんだから、かわいくしなくちゃ!」とコメントする方がいますが、昔私はそれを聞くとそっくりそのまま本人に言い返してやりたい気分に駆られたものです。「せっかく男に生まれたんだから」、と。

まあでも、そういうことではないんですけどね。

 

 

なお、今後もお付き合いが続くであろう方に初めてお会いする時は、一応気を遣います。

男だと思われないよう、もしくは「どっちなのか?」と相手を戸惑わせないように、そういう時はなるべく女性っぽい服装にします。

といっても、基本的にはメンズの服・靴しか持っていないので、その中で多少女性っぽいデザインのを着るだけですが…(^_^;)

また、不本意なのですが、喋り方・動きもほんの少し女性に寄せます。

(でもそれも初回だけで、2回目以降は普段通りにしますが。)

 

なぜ男だと思われないよう気を付けるかといえば、もし長いお付き合いになった場合、結局はどこかでバレるからです。

例えばですが、学生時代の制服の話題になったりして、「ブレザーと詰襟どっちだった?」とか訊かれたら「いえ、セーラー服を着てました」と言うか、さもなくば嘘を吐かなければならない。

 

私は、嘘を吐くことに酷く罪悪感を感じる人間なので、それは無理です。

そもそも選択肢に「嘘を吐く」というのがない。

だからそこで、男じゃないことがバレる→気まずい、となる。

そういうわけで、“もう面倒だから男ってことでいけばいいじゃん”と思ったことも無くはないのですが、やっぱりできないなあと思う。

自由に生きているように見えて、浮世のしがらみにしっかり絡め取られている人間なのであります(苦笑)

 

 

閑話休題。

相手が私のことをどちらだと思っているのか、判別するにはいろいろなパターンがあります。

当人からはっきり「男だと思った」と言われたらもちろん間違いないですが、他にもぼんやりしたところでは、

 

・アクセサリーショップで「男性に人気なんですよ」と薦められる

・顔見知りのお店のお姉さんにバレンタインチョコをもらう

・釣銭受け渡しの際に「細い指してるわねー!」とおばちゃんに言われる

・女性と二人で温泉宿に行った時に布団をくっつけて敷かれる

 

などあります。

でもこれらは、もしかしたら女性に対しても取る可能性のある行動なので微妙です。

もう少しはっきりしたのでは、

 

・模試で男子用のプリント(男子校が載っている)を渡される

・初めての授業で、皆で板を運搬する際、先生が男子2枚、女子1枚の法則で板を手渡していた時、2枚渡される

 

など。

ちなみに、ホームセンターに買い物に行った時、なぜか警備員さんに「何かお探しですか?」と声をかけられ、「タバコですか?」と聞かれたことがある。

タバコ吸いたそうなお兄ちゃんに見えたんでしょうねえ(笑) ちなみに私は吸わないのですが。

 

さらには、

 

・女子トイレに入るとビックリされる、または注意される

・「お兄さん」って呼ばれる

・高校演劇大会で「男子部員がいていいですね」ってアンケートに書かれる(いないのに)

・男子浴場を案内される

・きれいな顔してるわねって言われる

 

などなど。

女子トイレは日常茶飯事です。

あまりご婦人方を驚かしたくないので、もう近年はできるだけ男女共同トイレに入るようにしてます。

きれいな顔云々の件は、小学生の頃、母と一緒にいた時に近所の方にたまたま声を掛けられ言われたものです。

これ、実は先方が私のことを男の子だと思って言った言葉で、“男の子にしては”っていう意味。(会話をするうちに勘違い発覚。申し訳ない(苦笑))

言われた時点で薄々わかってましたけどね。だって別に“きれいな顔”じゃないもの(笑)

 

他にも、エレベーターで男子学生と乗り合わせた際、その二人が「どっかにいい女いねえかなー」という会話をしたり(笑)

まあ、私が女だと思ってたら言わないでしょうねえ。それとも迂遠なアプローチなのか(笑)

 

あとは、丸一日一緒に行動してた他大学の落研部員たちにずっと男だと思われてたとか、バイト先で週3~4回顔を合わせる運送屋のお兄さんに半年間ずっと男子学生だと思われてたとか(この時は歳を訊かれたのでバレた(笑))。女友達と二人で出かけると彼氏と間違われるとか。そういう感じです。

服装はともかく、声も低いので喋ってもわかんないんですよね。動きも男っぽいし。

 

 

いやー面白いですね(笑)

間違えた方は恐縮なさるので、いつも申し訳ないと思うのですが、私は間違えられたら喜ぶ変人なので気にしないでいただきたいと思っています。

人は見られたい見た目になっているものですから。どっから見ても男だったら、たとえその人物が戸籍上女だったとしても、男のように扱っていいんです。私はそう思います。

 

そんな私も、レディースデーはちゃっかり活用したりする(笑)

背に腹は代えられない(>_<)  収入があまり豊かではございませんので!

その代わり、重い荷物持つし、席は女の子に譲るよっ(笑)

宅配のバイトをしています。
もうかれこれ4年くらい経つでしょうか。
守秘義務があるので具体的なことは言いませんが、私が思う「この仕事の素敵な所/大変な所」をつらつら書いてみたいと思います。

 


≪素敵な所①≫
世の中に仕事はいろいろありますが、この仕事の特権は、たくさんの人に直接「ありがとう」と言ってもらえることだと思います。
知らない人の家に行って、物を渡す。端的に言えばそういう作業。
それが仕事だからやってるわけですが、「ご苦労様」とか「ありがとう」とか言ってもらえる。
これが販売業だったり、飲食業だったり、特にオフィス勤務なんかでは、なかなかそういうことはありません。
関西では頻繁に「ありがとう」と声をかける習慣があるようですが(素敵ですね)、関東ではあまりないので、言われるとちょっと特別に感
じます。

このように、自分の働きに対してすぐにわかりやすい形で「報酬」が返ってくるので、些細なことですが「やっててよかったなあ」と頻繁に感じることができます。


≪素敵な所②≫
さらに私にとってありがたいのは、午前中に起きるきっかけになることです。

フリーデザイナーなんてやくざな商売をしていると、絶対に不摂生になります。
私は根本的に夜型なので、何かやろうとすると夜中に集中してしまい、よって朝寝坊し、遅い朝食兼昼食を食べ、仕事や雑用をし、また夜中
に仕事をする。
というサイクルから抜け出せなくなります。

そこへこの仕事があると、全然違う。


”特に用事は無いけど己の精神力のみで早起きする” のと
”出勤しなくてはいけないから早起きする” のでは、モチベーションが全然違います。
まあ用事があろうがなかろうが、起きるのはどうあってもツライのですが(涙)、仕事があればなんとか起きられる。
裏を返せば、用事もないのに自力では起きられない。なぜなら寝るのが好きだから(苦笑)

 

昔は休日は平気で12時間以上寝てました。
近年はあまりそういうことは無くなりましたが、それでも1年に2~3回くらい、そういう日があります(^_^;)


≪素敵な所③≫
それから、フリーデザイナーは陥りがち(?)な運動不足が解消できます。
配達中はほぼずっと体を動かしていますから、とても健康的です。
現在はマンション内と駅前商業施設の中の配達を担当しているので、荷物を載せる台車とはもうすっかりともだち。身体の延長の様に扱えます(笑)
でも「ともだち」使いの荒い私は、よくくるぶし辺りに青痣を作っている…。


また、商業施設は重い物を運ぶ機会が多いです。
飲食店の米とか。コピー用紙とか。チラシ何千部とか。什器とか。その他諸々。
個人宅でも、飲料水やゴルフバッグなど。
ですから、今ではすっかり鍛えられて、30kg程度なら持ち上げられます。
15kg以下なら全然躊躇せず持てます。
やっぱり女のコにモテるには、筋肉つけないとねッ(笑)

 

そして何より、運動した後のご飯が美味い。
これかなり重要。
たとえ、この労働で稼いだ大部分を昼食代に充ててしまうとしても。
美味しいご飯が食べられるというのは、私にとってそれだけの価値がある。

 

そんなわけで、様々な人とのふれあいがあって、規則正しい生活と適度な運動ができ、ご飯も美味しく食べられて、とても素敵な仕事です。

 

 

≪そして大変な所≫

大変な所は…色々あります。
基本的に力仕事だから体力的にキツイことはもちろんですが、これはまあこの仕事を選んだ時点で覚悟してることですから、仕方ありません。
とはいえ腰やら背中やらにギックリきてしまうと大変ツライですが…。

(私も既に何度かなった…。)

 

 

しかし、そういうことより、精神的な負担の方が大きい気がします。
お客様に直接係わる商売だとどうしても避けられないことですが、毎日何が起こるかわからないので、事前にあまり予定は立てられない。


荷物の量はその日になってみないとわからない。
どのお客様がご在宅でどのお客様がお留守かわからない。
いつ集荷や再配達の依頼があるかわからない。
そういったことに臨機応変に対応して、勤務時間内に仕事を終わらせなければならない。
…なかなかの技能を求められることですよ、これは。

 

しかし、たとえどんな状況であっても、お客様とのお約束通りにお届けしなければならないのです。それが、この仕事に就いた者の使命なのです。
暑い日も寒い日も、台風でも大雪でも。巨大な物も薄っぺらい物も、冷凍冷蔵品も貴重品も。

とにかく無事にお客様の元へ。

 

ですが使命といえど、やはり悪天候や荷物の多い日は、指定時間などのお約束を守るのが困難なことがあります。
そういう時は本当に申し訳なく思います。
例えば、お店で売る商品を届けるのが遅れてしまった時
など。

私も販売業の営業部にいた頃に「在庫切れによる販売ロスのことを考えろ」と(生意気にも)新入社員に指導していた時期がありまして…。

ああー、これじゃロス発生ですよねー(*_*;  と、心痛を感じております…。

 

 


なお近年、熱中症が原因で亡くなった人数を職種別にみると、運送業は5~6番目に多かったらしい。
過酷だなあ…。
私はドライバーではないので、幸いそんなにツライ思いはしていないのですが、同じ営業所のドライバーさんたちを見ていると、大変さがヒシ
ヒシ伝わってきます。

 

で…そんなに大変なのに一生懸命この仕事をやっている方々を見ていると、一種のマゾヒズムかもしれんなあと、思わずにいられない(-_-;)

すごく重い物を運ばされて、汗だくになりながら「ありがとうございます!」と笑顔で言う状況とか。
少なくとも私に関しては、ありますね。実はMです(笑)

 

 

…まあ、マゾヒズムかどうかは置いておいて、役付の方などはさらに、家庭で過ごす時間を削って滅私奉公なさっていたり。

働き過ぎることについての善し悪しはともかく、私みたいな生活をしている者から見ると、頭が下がりますね、本当に。お身体壊さないか心配になります。

 

 

 

≪知らない人が私を知っているということ≫
ところで、”私は相手を知らないのに、相手が私を知っている” ということがあります。
演劇などをやっているとよくあることなのですが、舞台に立っている側はお客さんの顔が見えないので、そういうことになります。
それって結構特殊な状態だな、と思いつつ、長く演劇をやっていてそんなことにも慣れ、そして最近は演劇から離れてそういうこともなくなっ
ていたのですが。

 

このバイトをするようになり、そういうことがまた身の周りに起こり始めました。

どんな感じかというと…。


いつも申し訳なく思うのですが、私は人の顔を覚えるのが苦手で(人の顔を見て喋れないんだから当然といえば当然)、よって認識できる人がかなり限られます。
なので、配達先の方々のお顔も(努力はしているのですが)未だ全員は覚えられず(配達先が多いこともあり…大目にみてください)。


でも配達される側からすれば「よく配達に来る人」ということで、私を覚えている様子。
特に、ショッピングモールでは台車を大きな音を立てて転がしながら移動しているので、嫌でも目につく。

なので、私が私服で訪れても、「お疲れ様です」と声を掛けられたりする。

(ほとんど配達したことのない店でも…!)
それで、「あ、私がいつも配達してる奴だということがバレているな」と認識する。

 

これは下手に街中で悪いことはできないぞ。と思う。(しませんけど)

 

と同時に、やっぱり私のことを知っている人がたくさんいるのはなんとなく嬉しくて、特によく配達するお店の方々なんかは顔馴染みということで親切に接してくださるので、有難いことだなあ、この仕事やっててよかったなあ、といつも思います。

こんな風に色々な人と知り合いになれるのも、この仕事のいい所ですね。

 

 

≪育ってきた環境が違っても≫
また、この仕事をやってよかったと思うのは、ドライバーさんたちと交流が持てたことです。

 

ドライバーの皆さんは、私の既存の友人たちとはだいぶ違うタイプの人種です。
例えば既婚者だということとか。早婚も多い。20代でお子さんが二人以上なんて普通。みたいな。

 

また、いわゆる「高学歴」といわれるような方は少ない。で、ご自分を卑下して「自分は勉強できないから」というようなことをおっしゃったりする方もいるのですが。


でも、普通に接していて勉強できるとかできないとか、ましてや学歴なんてわかりません。
高卒だから大卒より仕事できないとか、ましてや頭が悪いとか、全然そんなことはないし。
むしろ高学歴の持ち主よりも、よっぽど仕事できたり、人間的に尊敬できる人もいます。
確かに、世間的に「いい大学」と呼ばれる所を出た人間は勉強ができるタイプなのは間違いないと思いますが、それと賢さはまた別だなあと、しみじみ思ったりする。

 

 

あーでもこんなこと、まあまあ高学歴の人間が書くと、逆にイヤらしいかなあ…(-_-;)
そういう論評すること自体、上から目線みたいな…。


そもそも、そう思ったのは、「大卒の人間関係はほとんどが大卒」だという調査結果を聞いたのもあって。
確かにそうかもなあと思ったわけです。
大学を卒業して大卒募集の枠で会社に入社すると、周りも大抵大卒。
高校の学力レベルが大学進学を目指す所なら、高校の友人も大卒になる可能性が高いし。
すると周りは大卒ばっかりになる。(しかも大体同じレベルの。)

 

それってつまらないんじゃないかなあと思う。

もちろん、考え方の近い友人がたくさん居るというのは精神的にも大切なことです。
でも、似たような環境で育った、似たような価値観の人間だけで集まっていると、自分の間違いや思い込みに気付きにくいし、新しい発見をするチャ
ンスも少ない、というマイナス面もあると思う。(これはもちろん高学歴者でなくてもあてはまることですが。)

 


話を戻しますが、要するに、必ずしも「勉強ができる」=「頭がいい」ではないし、さらに言えば「勉強ができる」=「幸せになれる」ではないよなあ、とは思っていました。
そりゃ、幸せになる為の一つのツールではありますが。
でも勉強できても不幸になるし、勉強できなくてもすごく幸せになる人もいるわけで。

 

 

私は、「賢い」といわれる人の一つの大きな条件として、「自分がどうしたら  ”できるだけ楽しく(嫌な気持ちにならずに)生きていけるか”  を知っている」、つまり

「自分の性質をよく理解している」ことが挙げられると思います。


生きている限り誰でも、理不尽な事やストレスの溜まる事に出遭いますが、そんな時に

「どう対処すれば自分にとって最も良い結果が得られるか」の答えを導き出せるということ。

(ベストでなくベターでも良い。)


ただ、ここで間違ってはいけないのは、”長期的に見て” 良い結果であること。
一時的にメリットはあっても、例えばそれが誰かに損害をもたらす手法であり、その相手の信頼を失うことで結果的に自分が損をするのであれば、賢い選択とは言えないわけで。
そうならない為には、

「他人の気持ちもわかる(わかろうとする)」ということが同じくらい大切ですね。

 

しかし、他人に気を遣い過ぎて自分にストレスがかかってはこれまた主客転倒。
…うーむ、難しい。でもそういうバランスが上手くとれる人間になりたいものです。

 


と、色々述べましたが、最終的には、他人からどう評価されようが「自分は幸せだ」と思える人がいわゆる人生の勝ち組だ、と私は思っています。

 

 

まあとにかく、ドライバーさんたちを見ていて、やっぱり幸せになるのに学歴は関係ないよなとしみじみ思うわけです。
仕事は大変だけど、奥さんがいて、かわいいお子さんがいて。家も買えるし、新車も買える。

 

 

そんな、私と全然違うタイプの人生を歩んできた方々と交流できて楽しいです。

私みたいなバイトにも、皆さんとても親切にしてくださいますし。

そういう時には、「ああ私がもっと可愛い女子だったらよかったのになぁ…」と、

私が「可愛い女子」でないことを秘かに申し訳なく思ったりしてます。いや、ホントに。

若くて可愛いコの方が、やっぱり親切にし甲斐があるじゃないですか。…って、あれ。

こんなこと考えてる私は、人を見かけで差別するイヤラシイ人間ですか…?(-_-;)

 

 

 

ちなみに、年に2~3回、ドライバー仲間の飲み会に誘っていただくのですが、それがそもそも夜23時集合とかで。
配達を終えるのが21時過ぎですから仕方ないのですが、仕事終わりで来る方も、明日仕事(遅番)の方も、そんな時間から呑んでよく体力もつなあといつも感心
します(笑)
翌日休みの人なんて、2次会のカラオケに朝5時までいます。

半数は寝てますけど(笑)


そんな会に朝まで付き合う私もモノ好きだと思いますが…。

 


≪素敵な仕事です≫
以上のような理由から、私はこの仕事が好きです。
もちろん、この「アルバイト」が、ですけど。
なにせドライバーという職種の苛酷さを目の当たりにしているので、いくら皆さんに「ドライバーになっちゃえばいいのに」と言われても、なれません。なる気もありません… 私には無理だ!(-_-;)

 

でもそう言っていただけるのはとても嬉しいです。
頑張って、少しでも社員の皆さんのお役に立てたらいいなと思いながら、日々働いています。

 

 

ああ、でもデザインの仕事の方も、頑張らないとなあ…。

Please reload

!ごくまれに当ページに不具合が出ることがあります!

ご迷惑をおかけして誠に申し訳ありません。

もし読めない状態になっていましたら、ご指摘頂けると幸いです<(_ _)>

 

 

bottom of page