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ザ・雑談 ~お七の話

  • nmtmah
  • 2015年10月21日
  • 読了時間: 9分

皆様ご無沙汰しております。

先日、砂糖と塩を間違えて、人生で初めて料理を大失敗した野本です。

料理は得意とは言えないけれど、レシピ通りには作れる人間だったので今まで特に失敗をしたことはなく、意外とショックでした。

今日は、そんな話とは全く関係ない雑談をしたいと思います。

適当にお付き合いください。

=====

朝日新聞の4コマ漫画、しりあがり寿の『地球防衛家のヒトビト』2015年10月13日のネタがこんなのだった。

親子で今年はサンマが不漁だという話題になり、

「昔はサンマを七輪で焼いたもんだ、ジューって…」と父さんが言う。

オチの4コマ目で息子が「昔から3+7=10なんだな」

これを読んで、私が思い出したのは、八百屋お七である。

八百屋お七と聞いて、どれくらいの人がわかるのだろうか。

私は比較的子供の頃から知っていたのだが、友達とその話をしたことはない気がするから、

多分親や本から知識を得たのだと思う。

伝統芸能や江戸時代に興味のある人ならご存知と思うが、

お七というのは、江戸本郷の八百屋の娘で、恋人に会いたい一心で放火事件を起こし火刑に処されたとされる人物である。

モデルとされる人物はいたようだが、史実としてきちんと残っているものはなく、井原西鶴が『好色五人女』(1686年発刊)に取り上げたことで大衆に広まった。

歌舞伎や文楽の題材にもなり、その名は一躍有名に。

月岡芳年『松竹梅湯嶋掛額』

実は落語でもこのお七を題材にしたものがあり、私が思い出したのはそれである。

「お七の十」という噺で、人情噺かと思いきや、ただの駄洒落でオチる噺。

ここでやっと冒頭の件に戻るが、この落語のオチが、

火刑に処されたお七と、後を追って入水自殺した恋人の吉三(きちざ)が地獄で巡り会って、

「そこにいるのはお七か」

「吉三さん、会いたかった」

と、抱き合ったとたんにジュウッ…。

つまり、

火(で死んだお七)に水(で死んだ吉三)で、ジューッ。

さらに、お七と吉三、合わせて十。

というくだらないものなのである。(いい意味でね。)

これと同じことを、4コマでは、

サンマ(3)+ 七輪(7)= ジューッ(10)で表しているわけだ。

しりあがり寿氏はこの落語のことは知らずに書いたのだろうか。

多分そうだと思うのだが。

知っていれば、アイディアのパクリと指摘される危険のあるこのようなネタは使わない気がする。

もしくは、元ネタ(お七と吉三)を絡めた内容にするとか。(4コマでそれは難しいか。)

そもそも、この噺はものすごくマイナーで、今は演る噺家さんはいないらしい。

私も昔たまたま、何かの拍子にテキストでこの噺を知ったのである。

というわけで、

基本的に日本人が思いつく言葉遊びってのは、時代は変わっても何か根っこは同じなんだなあと思ったのであった。

=====

ところで、

お七といえば、他に思い出すことがある。

それは『丙午(ひのえうま)の女』である。

これも、若い人はあまり知らないだろうか。

お七は丙午生まれだった、だから「丙午生まれの女は気性が激しく夫の命を縮める」という、なんとも酷い俗信があるのである。

お七が実在したかも定かではないのだから、丙午生まれだったかは勿論わかっていない。

これはどうも、江戸初期、「丙午の年には火災が多い」という迷信が大元にあるらしい。

つまり、「丙午といえば火災」→「火災といえばお七」→「お七は丙午生まれ」という無根拠な連想だ。

これは例えば、「立派な所業を成し遂げた人物は、生まれた時も何かしら普通でない所があったに違いない」という世間の思いから、遡って生誕時の逸話が捏造されることの、逆版のようなものである。

ところで「丙午」自体なんだかわからない人も若い方にはいるかもしれない。

(私だってそんなに年配じゃないけど…)

丙午というのは、干支の一つである。

ね、うし、とら、う…というお馴染みのアレは、十二支であり、

子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥の12種類。

そして干支の「干」の方が、

甲乙丙丁戊己庚辛壬癸の10種類。

その二つの組み合わせで、全部で60通りある。

この組み合わせを「十干十二支(じっかんじゅうにし)」といい、戊辰戦争、壬申の乱、甲子園、庚申塔などの言葉が、かろうじて現代にも残っている。

ちなみに今年2015年は、乙未(きのとひつじ)の年。

なお、それぞれに属性があり、

「丙」「午」とも「火性」である。

ここから「火事が多い」に結びついたのだろう。

ところで、どれだけこの迷信が巷に流布していたか、その一端がわかるデータがある。

『好色五人女』が1686年に発刊され、八百屋お七の話が流布した以降、丙午の年は6度あったわけだが、

そのうち、近世になり出生数の記録が残っているのが1906年と1966年である。

そして実は、なんと両年とも、出生率が前年より下がっているのだ。

(1906年は4%、1966年は25%減少。)

その理由は勿論、もし女の子が生まれてしまったら、嫁の貰い手がないという悲惨な事態になるから。

昭和の御世にもそんなことが信じられていたとはびっくりするが、事実らしい。

当時の日本はそういう世の中だったということだ。

次の丙午は、2026年である。

私は、この時にどれくらい丙午の迷信が出生率に影響を及ぼすのか、非常に興味を持っている。

その頃には、大多数の日本人はこの迷信自体知らないであろうけれど、私のようにしつこく(史実として)憶えている人間も残っているはずなのである。

そして、「ほんの少しでも我が子にケチがつく可能性があるなら(それが謂れのないものでも)、その年に産むのは避けたい」と思う人もわずかながら居るだろうし、親や親戚など年配の世代からやいのやいの言われるからやめる人もいるかもしれない。

きっと、国民を1億人維持したい政府は、これ以上の出生率低下を防ぐ為、「丙午の女」説なんてものは、抹消したいであろう。

前年辺りにマスコミに、「お七に関するネタはやるな」なんて圧力がかかったりして。

というのは冗談だが、しかし実際、1906年よりも1966年の方が出生率の下がり方が大きかったのは、

情報が流通するようになったのが一つの原因ではないかと私はにらんでいる。

つまり、昔は丙午の迷信なんてものを知っている人の数が少なかったのではないかと思うのである。

流行ったとはいえ、それは一部の文化人や大都市に住んでいる人の中での話であり、大多数の農村などでは知られなかったのではないか。

昭和の頃になると、そうした一部で連綿と伝えられてきた俗信がじわじわと日本全体に浸透してきており、「丙午生まれの女っていうのはね…」と年配者から聞く可能性も高まる。

明治時代よりマスメディアも発達しているし、交通の便もいいから、個人が受信できる情報量は俄然多くなり、そうした迷信の類が広まるスピードも早いだろう。

また、それぞれの時代の、生活レベルや、結婚観・家族観の違いも影響しているはずだ。

明治の日本の平均的世帯では、迷信などを根拠に出産を調整するなんて、そんな一種余裕のあることなぞしてられなかったのではないかと思う。

明治の初期にはまだ(極々一部ではあるが)間引きも行われていたらしいから、明治時代の後半とはいえ、「丙午の年に女の子が生まれたら嫁に行けなくなるから」とかそんなレベルの理由で妊娠を控える家庭は少なかったのではなかろうか。

その60年後、日本は高度経済成長期の真っ只中である。

国民の生活は徐々に豊かになり、身分の差などがなくなる一方、結婚となると未だ家柄などを気にしたり、自由恋愛も多くはない時代である。

とはいえ “ 娘は嫁に行くのが当たり前 “ な時代でもあり、そうした御時世、嫁ぐのに少しでも不利になっては困る。

そんなわけで、明治より昭和の方が、丙午の迷信が流布し、かつ民衆に重要視されたのではないかと勝手に推測している。

(これはあくまで私の知識の範囲内での推測であり、間違っているかもしれないし、もっと他の原因があるのかもしれない。詳しく知りたい方は、自分で専門書を読んだり、時代背景などを勉強しましょう。)

実際、迷信だと思うし、馬鹿馬鹿しいことではある。

ただ、日本の風俗の一部分として大変興味深いものであるから、知識として知っておいてもいいと思う。

それに、大昔から陰陽五行とも結び付きがあり卜占にも応用された『干支』が、全くのデタラメで何の根拠もないと言い切れるかと言われたら、たかだか30年余り生きてるだけの私には断言できないのも事実である。

=====

ところで、丙午と言えば、妖怪にも関わりがある。

その名も『飛縁魔(ひのえんま)』。

そういう名前の妖怪がいる、と江戸時代の書物『絵本百物語(別名:桃山人夜話)』(1841年発刊)に書かれている。

絵を見ると、美しい着物を着て高下駄を履いた、普通の人間の女性である。

その脇には「顔かたちうつくしけれども いとおそろしきものにて 夜な夜な出て男の精血を吸い ついにはとり殺すとなむ」との説明書きがある。

原画でなくて御免なさい。野本画です。

妖怪研究家・多田克己氏の解説によれば、この本の作者・竹原春泉は、「怪談を語りながら、その内容は仏教の譬諭となり、あるいは俗世間を風刺していると思われる」そうだ。

つまりこの本に載っている妖怪たちは、当時妖怪として世間に広く知られていたかというと必ずしもそうではなく、仏教の教えとか、一種の語呂合わせ(言葉遊び)のような意味合いを含んだものも多分にあるというわけである。

だからこの『ひのえんま』という妖怪は、「丙午生まれの女は夫の命を縮める」という風聞に、魔性のものを彷彿させる “ 飛縁魔 “ という字を当て、「女人の色香に惑わされるな」という仏教的な教えが込められているわけである。(ひのえんまは “ 火の閻魔 “ ともとれ、これまた火と仏教を連想させる。)

まあ要は、「女ってのは恐いもんだから気を付けな」って言いたいわけである。

=====

と、全く役に立たない話を長々としてしまった。

新聞の4コマを見ただけなのに、こんなに展開してしまうとは、自分でも思わなかった。

この文章を書く為に、書物の発行年などの数字やら、何やかや一生懸命調べてしまったりして、そんな自分の情熱に驚き呆れている。

私は普段、どちらかというとあまり喋らない方だ。

それは、こういうどうでもいいことばかりが頭に入っていて、そうした知識を披露するタイミングというのが普段の会話ではほとんど無いからである。

(勿論、人の話を聞く方が好きだというのもあるのだが。)

そして、こうしたしょうもない知識を私が持っているということを、このまま誰にも話さず世の中から消えていくのも何だかつまらないなぁと思うので、こんな所に書いてみた次第である。(あ、別にもうすぐ死ぬとかではないですよ。ご安心ください。)

知っている人にとってはさして目新しい知識でもないと思うが、初めて聞くという人もある程度いるかと思うので、これを読んで、少しでも「へー、そうなのか」と思って頂けたなら幸い。

<付記>

日々、私の頭の中で、このようなどうでもいい知識の展開が起こっている。

皆さんにも面白いものはご紹介したいと思っているのだが、逆に思い付きが多すぎて、選べないのである。

どれをどのように書いたら面白いのか、考えているうちに別の思い付きが出てきて、「こっちの方がいいかな」などと迷っているうちに段々忘れる、という悪循環。

また、適当なことは書きたくないので、事実の確認や裏付け資料を集めようとすると手間がかかって、なんとなく億劫になる、という本末転倒。

そんな山を乗り越えて、多分、また書くこともあると思います。

そういうわけで、今後こんなどうでもいい話をする際、

興味がある話題だけで結構ですので、またお付き合い頂ければ幸いです。

〈了〉

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