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往生の話

  • nmtmah
  • 2015年11月18日
  • 読了時間: 5分

こんにちは。

先日、ボルダリングジムの前を通った際、中で『恋のバカンス』(ザ・ピーナッツ)のインストゥルメンタルが流れていたことに違和感を抱いた野本です。

最近、制作の話も音楽の話もめっきりしてませんが、両方地道にやっております。

ただ、地道すぎて特に面白くないので、ここに書くに至らないのです。

今年中に一応形にして、年明けには「こんなことしてました」とご報告できる状態を目標にしておりますが、どうなるかなぁ…。

とりあえず12月は、宅配業は恐怖の繁忙期で、今から戦々恐々としております。

特に、昨年の12月はたまたま人員配置が私にとって都合が良く、例年に比べてかなり仕事量が少なくラクをさせてもらった為、

今年はそうではない(むしろかなりキビシイらしい)という噂を前に、今からテンションダウン。

=====

ところで、最近気になった出来事。

16日に、俳優・阿藤快さんの訃報を耳にしました。

死因は大動脈破裂胸腔内出血。

私は特にファンだったわけではありませんが、しばしばテレビで目にして親近感もそれなりにあったし、仕事仲間の話によれば優しくて周りに気を遣う人だったようで、そういう人が早死にしてしまったことはとても残念に思います。

それで私がこのニュースで気になったのは、阿藤さんが亡くなったのが誕生日だということ。

(正確な日時は報道されていませんが、おそらく14日=誕生日中だろうということです。)

人は、誕生日を過ぎると死亡率が上がる、という統計があるらしい。

誕生日当日というのはあまり多くないかと思いますが、確か誕生日を過ぎて3ヶ月以内に亡くなる確率が高いという話でした。

そこから読み取れるのは、

おそらく人は、自分の寿命がそろそろ尽きると感じた時、無意識に「次の誕生日までは」という気持ちが働くのではないか、ということ。

そして誕生日を迎えると安堵し、「区切りを迎えた」という気持ちになり、それまでより生きる気力が薄れるのではないかと推測できます。

阿藤さんも、亡くなった誕生日が数ヶ月ぶりに取れた休みだったそうで、きっと張りつめていた緊張が一気に解けてしまったのでしょう。

もともと体調不良もあったそうですから、もちろんそれが全てではないでしょうが、(安堵が)大動脈破裂の原因の一端を担ってしまったのではないかなあ、と思ったりしました。

なお、発見された時は布団の中で横たわっており、苦しんだ様子もないと聞きました。

ということは、眠っている間に静かに息を引き取ったということでしょうか。

昔は就寝中に死ぬとか、純粋な恐怖の対象でしかなかったですが、近年は「それもいいかもなあ、むしろ幸せかもな」と思うようになりました。

…いや、別に今死にたくはないですよ?

まだこの世に未練はありまくるんですけど、死に方としては理想的かな、という話。

実際にそのような亡くなり方をした方のご遺族もいらっしゃるし、軽々しくこのようなことを言うのはよくないかもしれませんが、あえて私の意見として述べます。

だって、死ぬ本人は、「明日も起きて、仕事して、同じような一日が始まるんだ。」と思って眠りに就くわけです。

病気で床に伏せって「明日死ぬかもしれない。もう長くはない。」という絶望感も、トラックに轢かれる直前の恐怖感も、「ああ、これで自分の人生は終わりだ」という虚無感も、何も感じないで死ねるわけです。

まあ、いわゆる「ピンピンコロリ」ですね。

働き盛りは別ですが、晩年といわれる年齢なら、身辺整理さえある程度できていれば、遺族に最も迷惑をかけない死に方だとも思います。

あくまで、どうせ人間死ぬなら、ということですが。

そりゃ、少しぐらい迷惑かけられたっていいから少しでも長生きしてもらいたい、と思うのが普通の家族の心情だと思います。

でもやっぱり、人生の最後に息子・娘に介護や医療費という負担をかけてしまい、お互いに嫌な気持ちが生じるようなケースを考えると、ピンピンコロリは一つの理想的な形ではあると私は思います。

ただ、阿藤さんはまだ69歳でしたから、まだ元気に生活できる可能性は大いにあったという意味では大変残念ですね。

=====

最近、こんな感じで、ますます考えることが年寄り染みてきた。

もっと若者らしく溌剌としたことを考えた方がいいんじゃないかと心のどこかで誰かが言っていますが、

やっぱりこういう自分でいいや、と思っております。

年寄りっぽいといっても色々あって、考え方が丸くなったとか諦観※するとかは、いいと思うんですよ。

よくないのは好奇心や何かに挑戦する気力を無くしてしまうことですよね。

「どうせ歳だから」とか「今さらやっても仕方ないや」とか。

そうした「気力を無くす=諦める」考え方を常に持つようになると、脳に非常によくないそうです。

どこかで聞きかじったのですが、「老人は知恵者である」という意識が深く浸透している文化圏(日本ではないどこか)では、実際に老人のボケ発症率も低いらしい。

それは本人に、「自分は老人である=知恵者だ」という誇りのような思い込みが強くあるからで、

やっぱり人って結局、健康も、ひいては生き死にさえも、気力が大きく作用するのは一面の真理だなあ、と思う今日この頃でした。

皆さん、心も体も健康で長生きしましょう。

〈了〉

※ちなみに『諦観』の意味を改めて調べたら、2冊の辞典で結構違う感じのことを言ってました。

私が言いたかったのは、主に明鏡国語辞典の方の意味です。日本語って難しい。

<明鏡国語辞典>

①物事の本質をはっきりと見きわめること。

②俗世の欲望を虚しいものと悟り、超然とした態度をとること。

<広辞苑>

①入念に見ること。

②明らかに真理を観察すること。

③あきらめること。

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