催眠術
- nmtmah
- 2016年4月14日
- 読了時間: 6分
誰か私に、催眠術をかけてくれないかなあ。
と、数年前から結構真剣に考える時がある。
それも、何でもいいわけではなくて、
ある特定の暗示を与えてほしいのである。
どんなのがいいのかというと、
要は、私に自信を持たせてほしいのだ。
例えば、
「あなたは歌が本当に上手い」とか、
「あなたはドラムが本当に上手い」とか、
「あなたのデザインセンスは天才的だ」とか、
(文が稚拙で誠に恥ずかしいが)
そういうことである。
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なぜかといえば、
私は小心者だからである。
え、そう?全然見えないけど。
と思われる向きもあろう。
でも、そうなのです。
私が比較的人あたりがよいのは、小心者だからだ。
人に嫌われたくないのである。
自分が誰かに迷惑をかけたと感じた時など、そういう訳でかなり凹む。
やさしいね、とか、真面目だね、とか言われることもあるけど、
単に嫌われるのが怖い小心故だと自分では思っている。
誰にでも好かれたいっていうのは、「八方美人」があまりいいイメージの言葉でないように、
ちょっと都合が良すぎるんじゃない?みたいな感じもするけれど。
でもやっぱり、可能な限り自分と関わる全ての人と良好な関係を築くのは、
快適な人生を送る上で最も大事だと思うのである。
実際に、私はそういう風に生きてきて、
出来る限り相手に喜んでほしいなあ(=自分にいいイメージを持ってほしいなあ)と思って行動して、
そうすると、周りも私にやさしくしてくださるので、
幸せだなあと思う。
勿論、誰にでも満遍なくやさしくはできませんけどね。聖人じゃないし。
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しかし昔は(大学生くらいまでかな…)、
人になるべく嫌われたくない気持ちはあっても、
その為にどうしたらいいかという具体的な術が身についていなかった。
端的に言うと、極端に無愛想な人間だったのである。
常態がつまらなそうな顔なので、場合によっては周囲に気を遣わせていたこともあるようだ。
今考えると大変申し訳ないと思う。
一例を挙げると、私の記憶違いでなければ、小学生・中学生の時に1回ずつ「真穂ちゃん、何考えてるのかわかんないんだもん」という理由で女子を泣かせたことがある。
カップルのケンカかよ(苦笑)…イヤ、ほんと、スイマセン。
言い訳をすると、悪気は全く無くて、多分本当に表情が乏しかっただけなのである。
だから泣かれた時も、こっちがビックリである。というかむしろショック。
まさかそんなプレッシャーをかけていたとは…。
あー俺、ホント男に生まれなくて良かったわ。そういう意味では。(え、どういう意味?)
今はもうね、そこまでのことはないんですけど。
おそらく学生時代ずっと演劇やって、それでやっと人並みの表情が作れるようになったのかと思う。
とすると、演劇やってなかったらと思うとゾッとする。
多分まだ女を泣かせてましたね。(笑えん)
他にも、中学時代に部活のメンバーでディズニーランドに行った際、私がおそらくつまらなそうな顔をしていた為に、「真穂ちゃん楽しい?」と先輩に気を遣わせたり(とても楽しかったのだが…)。
今でも、初対面でいきなり打ち解けるようなことはできないけれど、
それでも数回会えば、私が悪い人間ではないということはわかってもらえているようである。
成長したと思う。
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ところで、話が逸れまくったが、元に戻そう。
催眠術の話である。(忘れてたでしょう?)
多分、私がこんなことを考えるようになったのは、星新一の影響によるものだ。
星新一は、大雑把に分類すればSF作家である。
SFの中でも、「ショート・ショート」と呼ばれる超短編の分野を確立した人である。
私は星新一の作品が好きなので、ほぼ全部読んでいるし、所蔵している。
多分、伝記モノ以外は、長編やエッセイ、翻訳作品もほぼ読んでいる。
しかも、私は同じものを何回も読み返す人間なので、それぞれ何回も読んでいる。
ちなみにこの作家は、ショート・ショート作品を1000編以上書いた人である。
スゴイと思う。
それを何度も読み返している自分もある意味スゴイと思う。
よく飽きないよね。
どうせ読むなら未読の作品(別の作家とか)を読んだ方がいいと思うことも勿論あるのだが、なぜかこうなってしまうのである。
しかも、星新一の作品というのは、「ショート・ショート(超短編)」というだけあって、とにかくプロットが最も大事というか、オチあっての作品というか、ほんとに全部「あらすじ」みたいな小説なのである。
極端な例だと一作品4~5ページで終わるものもある。(もっと短いのもある。)
落語みたいとも言えるが、会話とか描写も最低限だから、落語よりあっさりしている。
で、もうオチがわかっているし別に話術や雰囲気が楽しめる訳でもないのに何回も読むのである。
自分でもちょっと変だと思う。
それとも、そういう人って結構いるのかな。
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また、話が逸れた。
その星新一が、時々催眠術を作品の中に登場させたり、エッセイで言及したりしているのである。
氏もかなり興味があるらしく、誰か私にかけてみてくれないだろうか、というようなことを述べている。
あ、それから、
超短編とは対極の「レンガ本」(文庫本がレンガみたいな厚さであることから)で有名な、京極夏彦氏の作品にも催眠術が出てくるのだが、そちらの影響もあるかもしれない。
私はレンガ本も何回も読み返すのが好きである。
違う本読めって。
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催眠術をかけられると、普通なら出来ないような事ができたり(嫌いな物を食べられたり)、反対に出来なくなったり(数字の5がどうしても思い出せないとか)、力が出たり、逆に力が入らなくなったりする、らしい。
私もテレビでは見たことがある。
で、いつもそれらは半分くらい疑いの目を向けられるわけである。
確かに、ちょっとばかり落ち着きのある人の声で指示されたからと言って、自分でも制御できない感覚や筋肉を他人にコントロールされるなど、常識で考えたら信じられない。
私も全てが事実かはわからないが、しかし本当にかかることもあると思っている。
人間の脳の仕組みは未だほとんど解明されておらず、色々な可能性を秘めているからである。
(それにしても、なんで催眠術師の人って、男性が多いんですかね。
まあでも催眠術師に限らず、職に就いている人間=男性が圧倒的多数、っていう分母の問題もあるんでしょうけど。)
まあ、そういうわけで、私は催眠術をある程度信じているので、実力のある人に一度くらいかけてもらいたいと思っているのである。
私は実は思い込みが激しい所があるので、どちらかというとかかるタイプのような気がする。
そして、冒頭の話に戻るが、
「あなたには十分な実力がある」と暗示をかけてもらいたいのだ。
なぜなら、私が何においてもイマイチ思い切ったことができないのは、自信の無さが原因だと思うからである。
美術の分野でも音楽の分野でも、私の場合、スポーツ選手のように、メンタルトレーニングが必要だと思うのである。
でもメンタルトレーニングは難しいので、手っ取り早く(?)催眠術でなんとかならないかな、としょうもないことを考えているのだ。
いやいや、何を仰る。そんな自信ありげな人間が。
と言われるかもしれない。
なにせ、中学時代すでに、教師に「(座り方が)偉そうだな」と言われる人間だったのだ。
でもね、それはホントに無愛想で反応が鈍いだけなのであって、心の中では結構テンパってるんですよ。
だから、そういう「どうせ私の実力なんて」という後ろ向きな思いを、一度完全に断ち切ってみたら、全然違う人生になるんじゃないかな、と思う訳です。
でも、そうなると今の自分とかなり違う人格になるかもしれず、それはそれでちょっと怖いなあ。
ということも考える。
かけてもらうアテもないのに。
と、いう話でした。
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そして、
こんな話面白いか?
と、書き終わってまた小心が出てくるのであった。
駄文にお付き合い感謝。
〈了〉
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