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言語隠蔽効果(予定)

  • nmtmah
  • 2016年5月2日
  • 読了時間: 5分

私のコンプレックスの一つに、

「人の顔を憶えるのが苦手」というのがある。

相手がいつもと全然違う格好で現れたり、

長いこと会ってなかったりしたら、すぐに判別できる自信が全くない。

女の子なんて特に。印象変わるから。

よく知ってるはずの人の顔を思い出そうとしても、なんだか曖昧な気がしてしまう。

普段から人の顔を見ていないせいもあると思うが、

PASTIMEページ 『人見知りする話』参照)

識別能力が低い気もする。

単に憶える気が無いだけなのか。

脳機能の関係で、人の顔が憶えられない(認識できない)症状があるという。

勿論私はそこまでではないが、なんとなく気分は理解できる。

=====

そんな私は何に頼って人を判別してるかと言うと、

おそらく、全体の雰囲気だろうか。

それから声と喋り方。

芸人の森三中・黒沢かずこ氏の根暗エピソードで、学生時代は(恥ずかしくて)人の顔が見られないので全て声で判別していた、というのを以前聞いた。

そこまでひどくはないが、近い。

=====

誰かと会っている時の記憶を引っ張り出す時、

私の場合、

その人の顔があまり出てこない。

ということに最近気付いた。

その人の声と共に、その時見ていた景色を思い出すのである。

飲食店のテーブルに並べられた料理だとか、駐車場だとか、商店街の光景とか、店内のレイアウトとか。

それは多分、いつもほとんど相手の顔を見ていないからだろうと思う。

これは、本当に失礼だしいつも申し訳なく思うのだが、

長年の癖が抜けないのである。

それが証拠に、仕事のクライアントやサラリーマン時代の上司・同僚など、流石にずっと目を逸らし続ける訳にはいかない相手の顔なら割と思い出せる。

また、芸能人の顔なども問題なく判別できている。

だからやっぱり、プライベートやそれに近い状態の時は、あまり人の顔を見ていないのだ。

識別能力の問題ではなかった。

大変申し訳ない。

=====

でもその分、声や話はよく聴いているつもりである。

だから私の場合、顔を見ない分、声でその人の感情も判別している度合が大きい。

その人が緊張しているとか動揺しているとか、

喜んでいるとかムッとしているとか、

驚いているとか落ち込んでいるとか。

特に、疲れているとか元気がないのは判り易い。

おそらく、人は表情は取り繕えても、声までは難しいのだろう。

また、言おうか言うまいか迷っている時の呼吸の仕方など、個人差はあるがなんとなく判る。

勿論、判りにくい人もいる。

声が低めで、口数が多くなく落ち着いた喋り方をする人は比較的判りにくい気がする。

まあどちらにせよ、判り易いタイプだろうが判りにくいタイプだろうが、

付き合いが長ければ長いほど判別の精度は高くなる。当たり前だが。

=====

ところで、人は普通、対峙している相手の感情を、何から読み取っているのだろうか。

判り易くパーセンテージで示した研究結果がある。

それによると、

言葉 7%

喋り方・声質 38%

表情・態度 55%

なのだそうである。

注目されるのは、その人の気持ちを直接伝える役割のはずの「言葉」が、

実は非常に低いという点である。

意外な気もするが、確かに、

「ありがとう」という言葉も、表情や言い方で全く違った意味合いを感じ取れるし、

「ガッカリしちゃった」とか「楽しかったよ」とか、

感情を直接表している言葉でも、こうして文字で見ただけでは、感情はよくわからない。

笑いながら言う「ガッカリしちゃった」もあるし、

つまらなそうに言う「楽しかったよ」もあるからである。

反対に、最も高い割合が「表情・態度」。

とすれば私は、一般の人が最も拠り所としている情報を、利用していないことになる。

しかしだからといって、私が他の人よりハンデを抱えているとは思わない。

むしろ声だけで判断する方が、読み取りの精度が高い気すらしている(個人的見解です)。

なぜなら、人は表情で嘘が吐けるからである。

だが、声まで感情を偽るのはなかなか難しいらしい。

俳優の演技などはまた別だが、一般人が日常生活で繕うレベルでは、やはりなんとなく不自然さが出てしまうようだ。

だから顔が見えなくても、相手の感情を判断するのはそれほど難しくないと私は思っている。

=====

だが、そういうわけで私は、

誰かと会話している時、相手の声を聞き逃すことを恐れている。

というと大袈裟だが、

普通の人よりかなり警戒しているとは思う。

なぜなら、聞き逃してしまうと、相手とのつながりが突如断たれてしまうからである。

普通の人のようにアイコンタクトも同時にできていれば、そんなに焦る必要はないと思うのだが、

耳だけに頼っていると、そういうことが起きる。

だからやっぱり、よくないと思う。

皆さんは私の真似をしないように。(しないよ)

=====

ところで、そんな私にとってなお都合の悪いことに、

実は私は片耳の聴力が少し劣っている。

といっても別に難聴ということではなくて、

ただ、両耳で聴力に差があるというだけの話。

聴力検査でも引っ掛かるレベルではないので、

ちゃんと聴こえているのだが、でもどうしても、

左耳より右耳の方が聴こえにくい気がしてしまうのである。

幼少期に中耳炎で鼓膜が破れたことがあるだけなのだが。

だから、私は受話器は必ず左耳に当てる。その方がよく聴こえる気がするからだ。

そして、誰かと並んで話をする時は相手の右側に立つ。長じてからはほとんど無意識にそうしている。

相手の左隣に立ってしまうと、よく聴こえる左耳が相手から遠くなってしまうので、不安なのである。

車の助手席は仕方ないけど。ちなみにどちらかというと運転するより助手席の方が好きだ。(蛇足)

ちなみに通常、人は心臓のある左半身を守りたいと無意識に思う為、他人に左側に立たれると若干の緊張感が生まれるそうである。

とすると、私が誰かと居る時、必ず右側に立つのは相手に安心感を与える結果になっているわけで、それはケガの功名だなあ、と思っている。

私は、聴力の関係で、人に右側に立たれると落ち着かないのであるから、相互扶助ですな(笑)

さらに、右利きの人の利き耳は右であることが多いそうである。

だから、余計に私が右側に立つとお互いに良い訳だ。

=====

ああ、

今回は、顔が憶えられない話から言語隠蔽効果に話題を移行しようと思っていたのに、

全く違う流れになってしまった。

考え事をしていると、どんどん思考が本筋から逸れていってしまうのは私の悪い癖だ。

というわけで、その話はまた次回。

〈続く〉

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