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褒める

  • nmtmah
  • 2015年8月31日
  • 読了時間: 8分

おお、気付いたら夏も終わりですな。

8月はLIVEがあったので、忙しかったんですよ。 その話はまた近いうちに。

今回は8月初期にあったイベントの話。

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今夏も、ホームセンターの画材売場で、子供向けの工作教室をやらせてもらいました。

作ったのは、「お魚ライト」。

2Lペットボトルで魚の形を作り、それにボンドを溶いた水を塗って薄い和紙を貼り付ける。 中に市販の電池式LEDライトを入れて完成。

私のオリジナルではなく、インターネットで見られる工作レシピを元にしているので、その気になれば私に教わらなくても制作は可能なのですが、 実際に道具・材料を全て準備して、説明文と写真だけを頼りに自力で…となると、慣れない人には結構大変。

「ここに来れば道具も材料も揃ってて、先生が教えてくれて、2時間で宿題工作が終わるよ♪」

(面倒な後片付けも不要!)というと、それなりに需要はあるようです。

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ところで、こういう工作教室をやっていると、興味深いことに気付きます。

それは「親子関係は家毎に違うんだなあ」ということ。

当たり前といえば当たり前ですが、 参加しに来てくれる親子を見ていると、その関係が多様なことにちょっと驚きます。

そもそも、親子で一緒に参加するかどうかでも違うし、 工作をしている時のそれぞれの態度や会話など、 普段の親子関係を垣間見る部分はたくさんあります。

しばしば、お子さんと同じくらい、もしくはお子さんよりも熱心に作業に没頭する親御さん(特にお父さんに多い)もいたりして、 なんだか微笑ましくなってしまうことも。

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そんな中で、私が特に興味深く感じるのは、 作品を作り終わった時の、親御さんのお子さんに対する態度です。

ベーシックなのは、作ったものを「褒める」。 でも褒め方にも、色々ありますね。

大袈裟に「すごいじゃーん。いいのできたね!」と言ってあげられる親御さんは、褒め慣れているのでしょう。 褒められたお子さんもとても嬉しそうな表情になります。

まあとにかく、大袈裟でなくても、一言でもいいから「褒めてあげる」というのが大事だと思います。

実は、作ったものには無関心で、「終わったの?じゃあ帰るよ。」という感じの方も意外といて、 そういう子はちょっぴり淋しそうにしている気がします(私の主観ですが)。

さらには、滅多にいませんが、「けなす」方もいる。

「これじゃ5年生の作品として恥ずかしいよー。」

「下手だねえ。見本と全然違うじゃない。」

とか。

いかにも冗談めかしていうならともかく、

結構本気のトーンで言う方が極々稀にいたりする。

でも、私が見ても、全然下手なことないんです。 そりゃあもちろん上手い大人が作ったようなものはできませんが、どの作品にもそれぞれの良さがある。

そもそも小さいお子さんは、手が小さかったり力が弱くて、そういう面でまずハンデがあります。 (一緒に作っていると「こんなことも子供の手では難しいのか…」と気付く。)

それに、まだあまり生きてないわけですから、工作の経験値も低いのは当然です。

大体、美術って、正解なんてないです。 (まあ、「誰が見ても美しいと感じる」らしい『黄金比率』などは存在しますが、音楽などと比べると、許容範囲が広いし自由度がかなり高い気がしています。)

私が思うに、 きっと、そういうことを言うお母さんは、理想が高いのでしょう。

もしかしたら、自分も工作があまり上手くないというコンプレックスがあるのかもしれません。

または、先生(私)に「下手だな」と思われているのでは…という不安が生じ、 先に自分でけなすことで、≪私はこの子の作品が下手だと感じる審美眼は持っているんですよ≫という予防線を張っているのかもしれない。

もしそうだとしたら、それは自分の保身(見栄)を優先しており、子供の気持ちは全く考えていないということです。

私はそういう場面に出くわした時は、親御さんとお子さん双方に、

「そんなことないですよ。とてもよくできてます。」と言います。 本当にそう思うからです。

特に、お子さんが一生懸命作っていたなら、そのことも褒めます。 「一生懸命作ったから、いいのができたね。」と。

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私は、教育については素人ですし、講師として何か免許を持っているわけでもありませんが、 ただ、何かを一生懸命作りあげた時の喜びを伝えたいと思っています。

そもそも工作の宿題というのは本来、それを味わう為のものだと思う。

そして、完成させた達成感と同じくらい大切なのが、成果を人に認めてもらう嬉しさだと思う。

もちろん、大人になるまでの間になんでもかんでも見境なく褒めるのはちょっと違うと思いますが、 特に小さい頃は、そういった「結果を褒める」さらには「取り組んだこと自体を褒める」のは、人格形成において重要ではないでしょうか。

どんなに高い能力を秘めていたとしても、人から「あなたにそれは向いていない」と言われ続ければ、当人も「そうかもしれない」と思います。 子供なら尚更です。

反対に、「それはあなたに向いている」と言われれば、本人もそのことに興味を持ち、好きになる可能性は高くなるでしょう。 好きになれば、「好きこそものの上手なれ」で、上達への第一歩になります。

心理学でいうピグマリオン効果のようなものですね。 (ピグマリオン効果には疑問視する声もありますが、単純に「褒められる」→「その行為が好きになる」ということはあると思う。)

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実際、私自身が自分にあまり自信のない人間なので、そういう感覚はわかるつもりです。

今でこそ、周りから「堂々としている」「落ち着いている」「色々なことができてうらやましい」など言われるようになりましたが、 それは多分、今まで色々やってきて、それを褒めてくれる人がいたからです。 (でも、本当は今でもそんなことないんですよ…小心者なんです。…皆さんのおかげで昔よりはマシになりましたが。)

褒められると、「挑戦してみてよかったな」「もっと頑張ってもっと褒めてもらいたいな」と思います。 「こうやってよかったんだ」という自信もつき、また同じこともしくは一歩進んだことをやってみようという気持ちも湧きます。

だから私は、褒めてくれる人が周りにいた巡り合わせに感謝しています。

例えば、 ピアノの先生に「頑張り屋さんだね」と言われたことや、 幼稚園の先生に絵や工作がとても上手だと言われたこと、 小学校の先生に私の書いた小説を褒めてもらったこと、

そんな些細なことの積み重ねが、私に少しずつ自信をつけてくれました。

両親も、「よくできたね」「頑張ったね」など、都度適切に褒めてくれたと思います。

あまり大袈裟でなかったのが、かえってよかった気がします。

おそらく、子供扱いではなく、きちんと大人と同じレベルで評価してもらった感じがしたのでは。

そして現在も、仕事や音楽活動に関したことや、バイト先などで褒めてもらうことが時々あって、 「大人になっても誰かに褒めてもらえるって、幸せなことだなあ」としみじみ感じております。

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それでもやっぱり、 「どうせ私なんかのレベルじゃあ…」という気持ちが頭をもたげることがある。

そんな時は「そんなことない」と自分で自分を鼓舞して頑張っております。

実際に ” まだまだ ” だとしても、そこでやめたらそのレベルで終わりですから、それはやっぱり悔しいなあと。思うわけで。

ちなみに、もしかしたら、 褒めてもらえる才能があるから褒めてもらえるのであって、 そもそもそういう才能や実力が何もなければ褒めてもらえないじゃないか、 と思う方もいるかもしれません。

でも、そうじゃないと思う。 生まれ持った才能や素晴らしい成果だけが褒められることじゃない。 企業や商売においてならともかく、人間としての成長に関してなら、 「頑張って何かに取り組む」ということ自体が、称賛されて然るべきことだと思うから。

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そんなわけで、 こんな子育て経験もない若輩者が言うのはおこがましいですが、

お子さんをお持ちの、又はこれから持つかもしれない皆様、 是非、積極的に褒めてあげてください。

きっと素敵な大人に育つと、私は思います。

そして、周りの大人も褒めてあげてください。 きっと素敵な人間になっていくと思います。

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(おまけの話)

ところで私は、「先生」をやる時はいつも、白シャツと黒ズボンに工作用エプロン、という格好をしています。

そうすると、親御さん方から、こんな風に声を掛けられます。

「お兄さん、これ何時頃までかかるんですか?」 「お兄さん、これどうしたらいいんですか?」

または、お子さんに、

「お兄さんの言う事をちゃんと聞くのよ!」

とか。

私はそんな時、普通に応対します。

「えーと、大体1時間半くらいかかりますね。早い子はもう少し早く終わることもありますけど…。」

今までずっと、自然に、当然の如くこうしてきました。

でも今年、ふと、「この対応の仕方は、変だろうか?」との疑問が湧き、自問自答してみた。

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『お兄さん』という名詞が、私を指していることは明らかだから、これは当然の対応ではないだろうか?

それに、相手が私を何と呼ぶのかは自由である。 よっぽど嫌なあだ名を付けられた、とかでなければ、相手が自分に話しかけていることがわかるのだから問題ないではないか。

そもそも、「いえ、私はお兄さんではありません。」と訂正することにメリットはあるだろうか?

いや、ない。

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というようなワケで、今後も爽やかな工作のお兄さんとして、子供とお母さんに夢を与えていきたいと思います。

〈了〉

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